賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

「鈍行乗り継ぎ湯けむり紀行」(9)

(月刊『旅』1994年10月号 所収)

「亀山→新宮」間では、温泉はおあずけだ‥‥

「九州一周」「中国一周」「四国一周」にひきつづいての「分割・日本一周」第4弾の「紀伊半島一周」。

 今回も、東京駅発22時40分の“大垣行き”に乗った。切符は“南近畿ワイド周遊券(東京発1万9440円)”。このワイド周遊券は指定エリアを広くまわるのにはきわめて便利。いちいち切符を買うこともないので、気分的にも、より自由に旅することができる。

 名古屋到着は6時08分。名古屋起点・名古屋終点で紀伊半島を一周しようと思うのだ。

 その第一歩。6時41分発の関西本線・亀山行きに乗る。電車が動きだすと、ホームの売店で買った駅弁を食べはじめる。幕の内弁当の“なごや”。車窓を流れていく風景を眺めながら食べる駅弁の味は、いかにも列車の旅をしているような気分にさせてくれる。

 亀山で7時57分発紀勢本線・新宮行きに乗り換える。5両編成の気動車。津、松阪と通り、多気で列車切り離し。前3両が参宮線伊勢市行き、後2両が紀勢本線の新宮行きになる。

 多気を過ぎると、広々とした伊勢平野からゆるやかに連なる山中に入り、山々は次第に高さを増していく。名産“伊勢茶”の茶畑が目につく。

 伊勢最奥の梅ヶ谷駅を過ぎると、荷坂峠のトンネルに入る。トンネルを抜け出ると、そこは紀州。同じ三重県でも、照りつける太陽の強さが違う。

“伊勢茶”の茶畑はあっというまに消え去り、それに代わって、“紀州ミカン”のミカン畑が目につくようになる。

 荷坂峠から熊野川河口までの間の三重県旧国名でいうと紀伊になる。

 旅するときに、県境は誰でも意識すると思うが、もうひとつ、旧分国の国境を意識すると、旅はもっとおもしろいものになる。旧分国の影響というのは今でもきわめて強く残っているもので、国境を意識すると、それぞれの国の匂いをかぐことができるのだ。

 三重県は、ほかにはあまり例がないのだが伊勢、志摩、伊賀、紀伊と4つの国から成り、それぞれのカラーを今でも色濃く出している(兵庫県は摂津、播磨、丹波、但馬、淡路の5国から成っている)。

 紀伊長島、尾鷲、熊野市と、熊野灘沿岸の町々を通り、熊野川の河口を渡って和歌山県に入り、13時17分、終点の新宮に到着。

 ほんとうは亀山→新宮間の紀勢本線では、阿漕で下車する磨洞温泉、阿曽で下車する阿曽温泉、紀伊長島で下車する有久寺温泉に立ち寄りたかった。だが、この間、とくに多気→新宮間は超ローカル線で、ぼくの乗った列車の次の便というと、4時間後になってしまう。“鈍行乗り継ぎ”のきわめて難しい区間なのだ。そのため、それら3湯を断念し、一気に新宮までやってきたのだった。

“熊野三湯”の温泉の連チャンでもうフラフラ

“鈍行乗り継ぎ”では、鈍行プラス徒歩の旅の仕方を貫いているが、今回だけはそれを崩し、新宮からJRバスに乗ることにする。

紀伊半島一周」では、熊野本宮周辺の川湯温泉、渡瀬温泉、湯ノ峰温泉の3湯をどうしても落とすことができなかったからだ。これら3湯を“熊野三湯”とでもしておこう。

 新宮駅前を13時25分に発車するJRバス(南近畿ワイド周遊券が使える)に乗り、14時29分、川湯温泉に到着。さー、温泉だ。

 川湯温泉といえば、河原の露天風呂で有名だが、みんな水着を着て湯に入っている。“温泉正統派”を自認するカソリは、ケシカランと一応は怒るのだが、チャッカリと水着を着て露天風呂の湯につかるのだ。だが、どうもしっくりといかない。そこで、共同浴場(入浴料150円)の湯に入り直し、気分をさっぱりさせるのだった。

 川湯温泉からは歩く。

 トンネルを抜け出ると、すぐに渡瀬温泉。「わたらせ山荘」(入浴料700円)の露天風呂に入る。“近畿最大の露天風呂”を謳い文句にしているだけあって、“看板に偽りなし”の広さ。紀州は夏本番。ジージーとうるさいくらいに鳴く蝉の声を聞き、ジリジリと照りつける日差しを浴びながら、大露天風呂の湯につかるのだ。

 渡瀬温泉の露天風呂に満足したあと、湯ノ峰温泉に向かって山中の曲がりくねった道を歩く。温泉の連チャンで足腰がふらつき、おまけに炎天下を歩きつづけるので、湯ノ峰温泉にたどり着いたときにはフラフラだ。

 山あいの温泉街を歩く。

“湯筒”と呼ばれる源泉は、100度近い高温の湯。観光客は卵を、地元の奥さんは野菜をゆでていた。

 飛び込みで、温泉民宿「あづまや荘」に宿をとると、湯ノ峰温泉の湯三昧の開始。

 まずは宿の湯に入る。木の湯船。高温の湯がこんこんと流れでている。湯につかると、川湯温泉から歩いてきた疲れもスーッと抜けていく。この湯は24時間、入浴可。

「あづまや荘」は1泊2食6500円。温泉民宿といっても温泉旅館とほとんど変わりがない。いい宿にめぐり会えたものだとうれしくなってくる。温泉民宿というのは、当たり外れはあるが、宿泊の穴場というか、狙い目だ。

「あづまや荘」の湯の次に、“壺湯”(入浴料260円)に入る。湯ノ峰温泉の名物湯で、一人で入ってちょうどいいくらいの小さな岩風呂。底の玉砂利の中から湯が湧きだしている。白濁した湯の色。とはいっても、1日に7回、色が変わるのだという。

“壺湯”の次にもう1湯、共同浴場(入浴料200円)の湯に入る。さすがに“木の国”紀州だけのことはあって、槇の大木をつかった木の湯船。気持ちよく入れる。

「あづまや荘」に戻ると夕食。ビールを1本頼む。宿のおかみさんは、「おつまみにどうぞ」といって、小丼に山盛りにしてチリメンジャコを持ってきてくれた。湯上がりの冷たいビールほどうまいものもないが、ビールとチリメンジャコの取り合わせにも、絶妙のうまさがあった。このあたりにも、温泉民宿の家族的なあたたかさを感じる。

 夕食後、“湯ノ峰温泉・湯三昧”の第2ラウンドを開始。さきほどと同じように“壺湯”、共同浴場とまわり、さらに温泉旅館「あづまや」の湯につかる。

「あづまや」は1泊2食1万8000円以上と、ぼくにはちょっと手の出ない宿だが、温泉民宿の「あづまや荘」の泊まり客は、夜の7時半以降だと自由に「あづまや」の湯にもはいることができるのだ。温泉情緒あふれる木の湯船の内湯、露天風呂、天然蒸気の蒸し風呂に入った。

 宿に戻ると、けっこうな湯疲れで、畳の上に大の字になってひっくりかえった。すると、下の女湯のほうから、何やら楽しそうな声が聞こえてくる。華やいだその声にひかれ、軽い気持ちで窓をあける。するとナ、ナント、階下の女湯の窓は、あけっぱなしではないか……。湯船につかっている女性と洗い場で体を洗っている女性、2人の若い女性がまる見えなのだ。信じられない、もう!

 洗い場で体を洗っている端正な顔だちの女性は、髪をアップにし、全身が色鮮やかなピンクに染まっている。形のよい胸のふくらみがぼくの目の底にこびりついてしまう‥‥。

 頭の中が、ジーンとしびれてしまうような感じなのだ。

「見てはいけない、見てはいけない!」

 と、自分で自分にいいきかせるのだが、なかなか首を引っ込められないカソリだった。

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※管理人、半ばあきれて(ついに)本文中に介入:

通報しますた

管理人も昨年の夏にこの記事を読んでいれば、オヤジ一人で忍び湯したのに~

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白装束をまとった若き巡礼者との出会い

 翌朝は、ニワトリの鳴き声とともに目覚める。時間は5時前。すぐに湯に入りにいく。 湯船には高温の湯が一晩中流れ込んでいたので、いやー、熱い!

 

 水をガンガン入れ、ふんだんに湯をかぶり、やっと湯船につかることができた。ニワトリの鳴き声を聞きながらつかる湯というのも、なかなか趣のあるものだ。

 たっぷり時間をかけて朝風呂に入り、6時過ぎに宿を出発。熊野本宮大社へ、“熊野古道”を歩く。京都から熊野本宮大社への参詣の道、“熊野古道”の中でも、最後のこの区間は、一番険しいのではないか。

 湯ノ峰温泉の温泉街を離れ、山道に入り、湯ノ峰王子(王子とは熊野街道沿いの熊野大社末社)に手を合わせ、大日越のルートで山越えをする。

 1時間ほど歩いて熊野本宮大社に着いたが、体中、汗でビッショリグショグショだ。

“熊野大権現”の小旗がはためく参道の石段を登り、全部で4殿からなる熊野本宮大社を参拝する。

 ここでは白装束をまとい、脚絆をし、手に錫杖を持った青年に出会う。

 この“若き巡礼者”は、高野山から歩いてきた。熊野本宮大社からは、新宮の熊野速玉大社、那智熊野那智大社と、“熊野三山”を駆けめぐり、那智の西国霊場33ヵ所の第1番札所、青岸渡寺を皮切りに、ひと夏かけて徒歩で西国札所めぐりをするのだという。

「あー、今の時代にも、このような青年がいるのか!」

 と、ぼくは感動してしまうのだ。

太地温泉の鯨料理

 “若き巡礼者”とは何度も握手をかわして別れ、熊野本宮大社前から、JRバスに乗って新宮へ。熊野速玉大社に参拝したあと、新宮発10時37分の紀伊勝浦行きに乗る。

 3両編成の電車。紀勢本線も新宮からは電化区間になる。

南紀の温泉を総ナメにしてやる!」

 と、車窓を流れていくまっ青な海を眺めながら、ぼくは気合を入れるのだ。

 10時59分紀伊勝浦着。勝浦温泉が、南紀の温泉めぐりの第1湯目になる。

 駅の観光案内所で「忘帰洞には入れますかね」と聞くと、黒潮美人の女性はすぐに電話してくれる。入浴OK! 

“忘帰洞”というのは勝浦温泉「ホテル浦島」の大洞窟風呂。前から一度は入りたいと思っていた憧れの湯なのだ。

「ホテル浦島」には、勝浦港の観光桟橋(駅から徒歩5分)からホテル専用の船で渡る。小島にある温泉。入館のチケット(2000円)を桟橋前のホテルの案内所で買う。“忘帰洞”は、聞きしに勝る天然の大洞窟風呂。海食洞に湧き出る温泉で、湯量は豊富。湯につかりながら眺める太平洋の荒波が豪快な気分にさせてくれる。

「ウワー、やったネー!」

 と、湯につかりながら、思わず喜びの声が出てしまうほどだ。

“忘帰洞”に満足し観光桟橋に戻る。

 駅に向かって歩いていると、八百屋の店先に並ぶまっ赤なトマトが目に入る。店のおかみさんに

「ひとつだけ、売ってもらえますか?」

 と聞くと、コックリとうなずき、きれいに水で洗ってくれた。南紀の人は心やさしい。熟れたトマトはぼくの好物。歩きながら、1個50円の大きなトマトにガブリとかぶりつくのだった。

 紀伊勝浦発12時44分の紀伊田辺行きに乗り、次の湯川で下車。ゆりの山温泉、湯川温泉、夏山温泉の順にまわることにする。

 駅前を走る国道42号を勝浦方向に100メートルほど行き、左に折れ、300メートルほど入ったところにゆりの山温泉の公衆温泉浴場(入浴料300円)がある。湯量豊富。湯はザーザー音をたてて湯船からあふれ出ていた。

 次に、国道42号に戻り、さらに勝浦方向に歩いたところにある湯川温泉「喜代門」(入浴料500円)の湯に入った。ここの湯もおしげもなく湯船からあふれ出ていた。

 最後は海辺の一軒宿の温泉、夏山温泉。

「コンニチワー、ゴメンクダサーイ」

 と、10分以上も大声をはりあげてねばったが、誰も出てこない。列車の時間もあるので、ついに断念。湯川駅に戻った。

 湯川発15時07分の紀伊田辺行きに乗り、次の太地で下車。今晩の宿の太地温泉の国民宿舎「白鯨」に向かう。

 太地の町は駅からかなり離れているので、炎天下、汗ダクになって歩く。30分ほど歩くと「くじらの博物館」(入館料1030円)。さすがに鯨漁で栄えた太地だけあって、鯨の博物館があるのだ。1階は鯨の骨格標本、2階は鯨の生態、3階は捕鯨の資料といった内容の「くじらの博物館」を見学した。

 いったん国民宿舎「白鯨」の前を通りすぎ、太地漁港までいってみる。

 太地では今でも細々と捕鯨がつづけられているが、太地港所属の捕鯨船は2隻あるとのことで、そのうちの1隻を港内で見た。もう1隻は銚子沖で操業中だという。

 捕鯨船のほかに、突き漁で鯨やイルカをとる漁船(小船)が何隻も停泊していた。

 国民宿舎「白鯨」にチェックインすると、まずは温泉。ガラス張りの大浴場で、夕日にきらめく太平洋を眺めながら、ゆったりと体をのばして湯につかる。

 湯から上がると、夕食だ。

 さすがに鯨の町だけあって、鯨コースの夕食は、鯨料理のオンパレード。どのような鯨料理かというと、次のようなものである。

 1、オノミ(赤身)とウネス(脂身)の刺し身。ショウガ醤油につけて食べる。

 2、サエズリ。鯨の舌で、トロッとした味わい。酢味噌をつけて食べる。

 3、コロ。皮から脂分を抜いたもので、シコシココリコリとした歯ごたえ。さっぱりと   した味で、酢味噌をつけて食べる。

 4、オバケ(尾羽毛)。ワサビあえの薄いミント色で、シソの葉の上にのっている。か   むと、クチュクチュクチャクチャと、チューインガムのようだ。

 5、甘辛く煮つけた内臓。ダイコンおろしが添えられている。これがコクのあるいい味   。

 6、鯨肉の佃煮風ゴマあえ。

 7、スキヤキ。鯨肉がドサーッと入っている。

 すごいのだが、鯨料理以外のものといえば、酢にひたした小魚のフライとサラダ、つけ物だけ。鯨料理だけで満腹になるのだった。

本州最南端の湯に入ったゾ!

 翌朝5時、国民宿舎「白鯨」を出発。太地の海に昇る朝日を見ながら駅まで歩く。

 太地発6時17分の一番列車に乗り、6時45分、“本州最南端駅”の串本に到着。“本州最南端の温泉”串本温泉の湯に入るのだ。

 まず、駅前温泉旅館「海月」に行く。だが入浴のみは不可。次に駅から徒歩5分の町営「サンゴの湯」に行く。残念ながら11時から…。

 町役場近くの温泉旅館「和田金別館」に最後のチャンスを託すと、ありがたいことに入浴OK。入浴料600円。ちょうど朝食の時間帯なので、泊まり客の姿もなく、湯船を独占して湯につかった。九州本土最南端の開聞温泉、四国最南端の四万十温泉にひきつづいて本州最南端の温泉に入ることのできた喜びをかみしめる。

 このあたりが旅人心理とでもいおうか、“我ら旅人”は最端の地にこだわる人種なのである。

 最端岬、最端駅、最端温泉‥‥には、なんとしても行きたくなるもの。最端の地まで行くことによって、旅にふくらみが出るのは間違いないことだ。

 串本発8時02分の列車に乗り、周参見到着は8時31分。

 周参見温泉は駅に近い。次の列車まで時間はたっぷりあるので、駅前海水浴場でひと泳ぎし、「はまゆう荘」(入浴料300円)の湯に入った。海で泳いだあとに入る温泉というのも、なかなかいいものだ。肌にこびりついた塩水が、きれいさっぱりとぬぐいさられていく。

 周参見発10時02分の列車に乗り、椿到着は10時18分。椿温泉は駅から30分ほど歩く。

 南紀の強烈な日差しを浴びつづけたので、国道42号沿いの椿温泉に着いたときは日射病にかかったかのようにフラフラ。「椿楼」に行ったが入浴のみは不可。国道をはさんで反対側にある「ホテルしらさぎ」(入浴料500円)の湯に入った。

 ここの湯は4階の展望風呂。眺めが抜群にいい。湯から上がると、“ホテルしらさぎのおかみさん”にいわれた。

「この暑さなのに、よく駅から歩いてきたわね。歩いて疲れて、温泉に入ってまた疲れて……、ご苦労さま」

“ホテルしらさぎのおかみさん”の表情には、何てバカなことをしている人なんでしょうといったあきれ顔と、よくがんばっているわねといった、ちょっとほめてあげたいわという顔が同居していた。

 次の下車駅の白浜着は11時50分。最初は白浜温泉まで歩いていくつもりだったが、あまりの暑さに、無意識のうちにバスに飛び乗ってしまった……。

 湯崎で降り、海辺の無料の露天風呂「崎の湯」と共同浴場の「牟婁の湯」(入浴料200円)に入った。

「崎の湯」は旅行者のよく来る湯なので、「すいません、シャッターを押してくださーい」と、旅行者同士での写真のとりあいになる。それに対して「牟婁の湯」の入浴客は、一目で地元のみなさんとわかるような人たちだった。

 南紀最大の温泉地、白浜温泉のなかでも、このあたりは一番歴史の古い地区。“湯崎七湯”(崎の湯、浜の湯、元湯、礦湯、阿波湯、疝気湯、屋形湯)でその名を知られ、飛鳥時代天智天皇持統天皇が沐浴に来たといういいつたえもあるほどの歴史の古さだ。

 白浜発13時51分の列車に乗り、紀伊田辺到着は14時08分。弁慶の銅像の建つ駅前から、炎天下、汗まみれになって30分ほど歩き、田辺温泉の一軒宿「中嶋荘」まで行った。だが、休業中。ガックリ…。

 田辺駅に向かって歩いていると、和歌山放送ラジオカーが止まり、女性アナに声をかけられた。南紀の海のように明るい人。今どき、汗を流して歩いている旅行者など珍しいからなのだろう、“和歌山放送の女性アナ”にはあれこれと聞かれた。これが旅のおもしろさ、毎日、いろいろな人に出会えるし、いろいろなことが起きるものだ。

 紀伊田辺発15時35分の和歌山行きに乗るつもりにしていたが、その前に、15時21分発のL特急「くろしお20号」天王寺行きが到着。鈍行列車に乗り継いでいると、ときどき、無性に特急列車に乗りたくなることがあるが、このときもそうだった。

「わずか、ひと駅だから、まあいいか……」と、ホームに入った「くろしお20号」を見ると、衝動的に飛び乗った。

 白浜のバスといい、紀伊田辺の特急列車といい、“鈍行乗り継ぎ”の旅の原則を曲げてしまって……。渡辺香織さん(月刊『旅』での連載を担当してくれている若き美人編集者)に、「ゴメンナサイ!」と、心の中であやまっておく。

 15時27分、南部着。

 今晩の宿、南紀の温泉めぐりの第9湯目になる南部温泉の国民宿舎紀州路みなべ」に向かって歩いていく。

 海沿いの道を30分ほど歩き「紀州路みなべ」に着くと、隣あった砂浜で夕暮れまで泳いだ。そのあとで入る温泉は、たまらなく気持ちいい! 

 湯につかりながら、夕日を浴びてまっ赤に染まる南紀の海を眺めるのだった。

忍者の里の伊賀温泉

紀伊半島一周」の最終日は、南部発5時35分の一番列車に乗る。大阪のターミナル駅天王寺行きの、4両編成の電車。御坊、海南を通り、7時09分、和歌山着。亀山からここ、和歌山までが紀勢本線になる。

 天王寺行きの電車は、和歌山で4両増結され、阪和線の大阪圏への通勤電車(快速)に変身。いっぺんに現実の世界に引き戻されたような気分を味わう。満員の乗客をのせ、8時32分、終点の天王寺に到着。天王寺駅は、大阪の紀伊半島への玄関口になっている。

 天王寺から名古屋までは、関西本線を乗り継ぎ、その間の温泉に立ち寄ることにする。 この間では、また、紀勢本線の荷坂峠のときと同じように、旧分国の国境にこだわってみた。

 関西本線は「大阪(湊町)→奈良」、「奈良→亀山」、「亀山→名古屋」の3区間ではそれぞれに違った顔を見せ、1本の路線とはとうてい思えない。

「大阪→奈良」は快速電車がひんぱんに走る幹線だが、奈良を過ぎるとぐっとローカル線の色彩が濃くなる。

 京都線片町線の分岐する木津駅を過ぎると、山中に入り、線路も単線になる。

 電化区間は次の加茂駅までで、加茂、亀山の間は、気動車が走る。

「亀山→名古屋」は電化区間だが、一部を除き、大半は単線である。

 さて、8時50分発の奈良行き快速電車に乗り天王寺を出ると、大和川に沿って奈良盆地に入っていく。大阪・奈良の府県境が河内と大和の国境になる。

 奈良で加茂行きに乗り換えるとすぐに奈良・京都の府県境を越えるが、そこが大和と山城の国境になる。木津を通り、10時02分、加茂着。すぐに亀山行き2両編成の気動車に乗り換え、次の笠置で下車。木津川河畔の笠置温泉「笠置館」に行く。駅から徒歩5分。木造の重厚な建物。だが、冷泉で、客が来たときだけ沸かすとのことで、残念ながら笠置温泉には入れなかった。

 笠置発11時16分の亀山行きに乗る。

 月ヶ瀬駅を過ぎると、京都・三重の府県境を越えるが、そこが山城・伊賀の国境になる。伊賀上野着11時44分。伊賀上野駅からは、“和銅の道”といって、御斉峠を越えて近江(滋賀県)に通じる古道を40分ほど歩き、山中の一軒宿、伊賀温泉「星雲荘」(入浴料400円)の湯に入った。

 さすがに忍者の里の温泉だけあって、男湯は“忍の湯”、女湯は“くノ一の湯”と名前がつけられている。ぼくは“忍の湯”を独り占めにし、手足をおもいっきり伸ばして湯につかった。ちなみに、さきほどの御斉峠を越えれば、もうひとつの忍者の里の甲賀である。

 伊賀上野発13時40分発の亀山行きに乗る。拓殖駅を過ぎると加太越のトンネルを抜けるが、その峠が伊賀と伊勢の国境になっている。同じ三重県でも、伊賀は大阪に目が向き、伊勢は名古屋に目が向いている。

 亀山到着は14時25分。名古屋行きの2両編成の電車に乗換え、木曽川を渡って愛知県に入る。この県境が、伊勢と尾張の国境になる。永和で下車。歩いて30分ほどの尾張温泉に行く。「尾張温泉東海センター」(入浴料500円)の大きな庭石をふんだんにちりばめた“庭園大浴場”の湯につかり、それを「紀伊半島一周」の最後の温泉とした。

 名古屋からは東海道本線の“鈍行乗り継ぎ”で東京へ。

 浜松、静岡乗り換えで、東京着は23時49分。最初の“大垣行き”から数えて23本目の鈍行列車で東京駅に戻ってきた。