賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

「青春18きっぷ2010」(11)

 東北本線小牛田駅では、13時46分発の一関行に乗り換える。2両編成の電車でワンマンカー。上野を出発して以来、初めてのワンマンカーになる。先頭車両の運転席の脇に運賃箱があり、その上にあるデジタルの料金表で料金を表示する。

 反対側のホームには気仙沼線気仙沼行が停車している。正確にいうと小牛田から前谷地駅までは石巻線で、前谷地駅で分岐して気仙沼線になる。このあたりが鉄道と国道の大きな違い。国道だと重複区間が多数あるが、鉄道は重複しない。

 先に4番ホームの気仙沼行が発車し、そのあと3番ホームの一関行が発車した。

 小牛田を出ると、列車は広々としたみちのくの野を突っ走る。長い直線区間がつづき、スピードをグングン上げる。それを先頭車両の一番前で見ている。長い編成の貨物列車とすれ違うときなどはド迫力だ。いやー、おもしろい!

 田尻、瀬峰、梅ヶ沢と通り、新田を過ぎると、ラムサール条約の伊豆沼の脇を通っていく。ここは日本有数の野鳥の楽園。次の石越駅を過ぎると、県境を越え、宮城県から岩手県に入っていく。

 岩手県に入ると、

「あー、はるばるやって来たなあ…」という実感にとらわれる。

 岩手県最初の駅は油島

 次が花泉だ。

 花泉は旧花泉町の中心だが、平成の大合併で一関市になった。

 一関市を中核とし、花泉町大東町千厩町、東山町、室根村、川崎村の1市5町2村が大合併し、新たな一関市になった。その市域は広大で東は北上山地の峠から西は奥羽山脈秋田県境まで占めている。岩手県南部をすっぽりと占めるような勢いなのだが、その中にあって藤沢町だけがポツンと孤立し、とり残されているように見える。がんばれ、藤沢町

 花泉駅を出ると、清水原に停まり、次が有壁、その次が終点の一関になる。

 ずっと岩手県内を走っているかのようなつもりでいると、清水原有壁の間で岩手・宮城の県境を越えて、もう一度、列車は宮城県に入っていくのだ。

 有壁駅宮城県内になる。

 それがわかっている人は地元の人か、よっぽどの地図マニアか、鉄道マニアといっていい。

 このかすめるように通過していく宮城県内の有壁駅はマッチ箱のように小さな無人駅。だがこの有壁駅のすぐ近くには、きわめて重要なものが残されている。有壁奥州街道の宿場町で、江戸期以来の本陣がほぼ完全な姿で残っているのだ。

 東海道などでは何軒かの本陣、脇本陣が残されているが、江戸から三厩までの奥州街道ではほとんど残っていないのが現状だ。

 関東側の福島県境に近い寄居宿に1軒、本陣があったが、今ではどうなっているのか…。東北側ではこの有壁本陣を除けば皆無だ。

 ということで2009年に250ccバイク、スズキST250で東京から津軽半島三厩まで奥州街道を走破したが、そのときに立ち寄った東北本線有壁駅有壁の旧奥州街道有壁本陣の写真を見てもらおう。

 なお、奥州街道三厩からさらに津軽海峡を渡った北海道の松前が終点になる。

 有壁の本陣は宮本常一先生の 『大名の旅ー日本の本陣を訪ねて』(社会思想社)に詳しく書かれているので、そのさわりを紹介しよう。

松前道に面した立派な門を松前・盛岡・八戸・一関などの諸大名の駕籠がくぐったに違いない。破風懸魚の堂々たる構えは、今も圧迫感さえともなっている。二階になった長屋門をくぐって中へ入ると、庭に面して大きな母屋がある。広い台所のある私宅は、本陣としての客座敷に接続している。大名は門をくぐると、松や石の配置された小庭を通り、玄関の式台におろされた駕籠から、玄関の間、中座敷、次の間を通って上がり框で一段高い上段の間に御坐りになった。(後略)」

 一関行の列車はそんな有壁駅を出ると、もう一度、県境を越えて岩手県に入りなおし、14時32分、終点の一関駅に到着した。ここからが岩手県の列車旅の本番だ。

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小牛田駅、一関行の電車

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貨物列車とすれ違う

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花泉駅

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有壁駅近くの車窓の風景

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(※2009年)有壁駅とスズキST250

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(※2009年)奥州街道有壁宿

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(※2009年)奥州街道有壁宿の本陣

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終点の一関に到着