2010台湾一周(17)台南→墾丁(その2)
6月20日(日)晴
台南の「康橋商旅」を出発。台南運河を渡って安平へ。
ここでは安平古堡を見学。1624年にオランダ人によって築かれた台湾支配のための要塞で、ゼーランディア城と呼ばれた。レンガ造りの壁に囲まれいるが、そのレンガは船でバタビア(今のジャカルタ)から運び込んだものだという。
鄭成功がオランダ軍を撃破したあとは、鄭氏の拠点になった。
そんな安平古堡を歩く。ガジュマルの大木が空を突き、鳳凰木の赤い花が咲いている。2門の大砲が台湾海峡に向けて据えられている。
資料館を見学。団体で混み合っていた。それを見て台鈴の李さんは、大陸からの観光客だという。李さんにいわせると、台湾人と大陸の中国人の違いは、話をしなくても、一目見ただけですぐにわかるという。
李さんをはじめとして台湾の多くの人たちは、大陸の中国人をあまりこころよく思ってい。台湾のみなさんには台湾人は台湾人、中国人は中国人という意識が強くあり、「台湾人」としての誇りが感じられるのだ。
話は横道にそれるが、台湾人が中国人以上に嫌っているのは韓国人だ。
台湾と韓国が経済面でのライバル関係にあるという背景もあるのだろうが、どうも肌が合わないようだ。
台湾人の韓国嫌いは徹底している。
たとえば今、世界を席捲している韓国の電器メーカー「サムスン」の大看板は、「台湾一周」では一度も見なかった。世界中に「サムスン」の大看板は氾濫しているが、それを見ない、見れない国は台湾ぐらいではないだろうか。世界のビッグ3を狙う韓国製「ヒュンダイ」の車もほとんど見かけない。その理由は製品の良し悪しではなく、「韓国製だから」という話を何人もの人たちから聞いた。
さて、安平古堡に戻ろう。
古城の壁の前には台湾の英雄、鄭成功(1624年~1662年)の像が建っている。その台座には「民族の英雄」と書かれている。
台湾支配を目指したオランダの勢力を一掃した鄭成功だが、彼の父親は福建省泉州の人。長崎の平戸で商売をしているときに地元、平戸藩士の娘をめとり、2子をもうけた。そのうちの長男が鄭成功で母親は日本人なのだ。
鄭成功は7歳のときに初めて祖国に渡り、成長し、文武両道を極めると、風前のともし火の明朝を護るために清朝軍と戦った。その功績で1658年、34歳のときに延平郡王になった。翌年、金陵(南京)を攻めたが清軍に大敗。すぐさま台湾の攻略を計画。1661年、2万5000兵と1200隻の軍船という大軍をひきいてオランダの拠点、台南のプロビデンシャ城とこのゼーランディア城を攻撃し、陥落させた。
オランダ勢を台湾から追い出した鄭成功は中国の福建、広東両省から積極的な移住をすすめ、富国強兵に勤め、台湾を拠点にして大陸への反攻を目指した。清を滅亡させ明を復興させるという「滅清復明」の大志を貫き通した鄭成功だが、その翌年、惜しくも病死。一代の風雲児は39歳の若さでその生涯を終えた。この年、明は完全に滅び去った。
スカイウェーブ250に乗る曾さん
NEXに乗る林さん
通訳の西方さん
サポート隊の隊長の李さん
サポートカーにはカソリの似顔絵
台南のホテル「康橋商旅」を出発
ガジュマル
安平古堡の案内図
安平古堡の模型
安平古堡を歩く
安平古堡の大砲
安平古堡のレンガの壁
オランダ船の絵
鄭成功像
鳳凰木の花が咲いている