賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

カソリの島旅(66)隠岐2(島根)

(『ジパングツーリング』2002年4月号 所収)

 島前・西ノ島の別府港から17時30分発の「フェリーおきじ」(隠岐汽船)に乗って島後の西郷港へ。西郷港到着は18時50分。島前は3つの島からなっているが、島後はひとつの島で、とくに島名はない。「島後」なのである。

 遅い時間にもかかわらず、西郷の民宿「二見館」に泊まれた。それも夕食つきだ。

 ヒラマサの刺し身とアカビラの煮魚、それとカニ、ホタテ、サザエ。アカビラとは初めて聞く名前の魚だったが、カンパチになる手前の魚。ブリに対するイナダのようなものだ。

 翌朝は朝食を食べ、7時30分に宿を出発。まずは西郷港に行く。

 港のターミナルビルの壁面には、

「かえれ!竹島」

 の大きな看板。竹島の詳細な地図入りだ。

 日韓紛争の竹島はひとつの島だとばかり思っていたが、その地図を見ると、東島、西島を中心にいくつもの島から成る群島なのがよくわかる。竹島は島後北部の五箇村に属している。 

 西郷からは国道485号を北へ。この“島国道”は島後北部の布施村が起点で、島後を縦貫して西郷へ。海を渡り、島前・西ノ島の別府港から浦郷港へ。再度、海を渡り、島根半島の七類港から松江に通じている。松江が終点だ。

 国道485号沿いの玉若酢命神社に参拝。境内には樹齢千数百年という杉の大木。玉若酢命神社は隠岐の総社になっている。

 次に、国道からわずかに入ったところにある隠岐国分寺(拝観料300円)へ。牛と牛を戦わせる闘牛の「牛突場」ドームに隣合っているところが、いかにも隠岐らしい。国分寺にはかつての国分寺の金堂跡の礎石が残され、境内の奥には隠岐に流された後醍醐天皇の像をまつる「王城鎮守社」がまつられている。

 国道485号の峠を越え、西郷町から五箇村に入り、峠を下ったところが隠岐・一の宮の水若酢神社だ。本殿は隠岐独特の「隠岐造り」の代表的な建物。隣合った明治初期の洋風木造建築「隠岐郷土館」(入館料300円)を見学した。

 国道485号をさらに北へ。

 隠岐最北の白島崎の展望台に立つ。白っぽい岩肌の白島海岸。ここから竹島までは166キロ、釜山までは406キロ。目の前の海には白島、松島、沖ノ島の3島が浮かぶ。

 国道の尽きる布施では浄土ヶ浦の海岸を歩き、断崖は海に落ちる都恋崎に立った。

 海がきれいだ!

 布施からは県道47号で島後の東海岸を走り、西郷港に戻った。これで島後の東半分をまわったことになる。

 昼食後、今度は島後の西半分をまわる。

 五箇村では隠岐唯一の温泉、隠岐温泉「GOKA」(入浴料500円)の湯に入った。気分ウキウキ。久しぶりの温泉を存分に楽しんだ。8の字にまわった「島後一周」は229キロ。西郷に戻ると、2夜目は玉若酢命神社隣りの民宿「ひろかね」に泊まった。

 島後・西郷港8時30分発の「フェリーおきじ」で境港へ。

 この便はよかった。

 島前の西ノ島・別府港、中ノ島の海士港、知夫里島の来居港と寄っていくからだ。たっぷりと隠岐の船旅を楽しめた。

 これら島前の3島の配置は絶妙で、3島に囲まれた海は、まるで湖のように波静か。この穏やかな海が隠岐におおいなる海の幸をもたらした。知夫里島の来居港を出ると、知夫里島と中ノ島の間の“大口”と呼ばれる水道(瀬戸)を通り抜けて外海に出る。すると、急に波が荒くなった。

 境港到着は13時30分。西郷港から5時間の船旅だ。隠岐は島根県だが、境港は先にもふれたように鳥取県になる。