賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

カソリの林道紀行(30)東北編(その2)

みちのく5000(2)       

(『バックオフ』2005年8月号 所収)

「さー、東北のダートをガンガン走りまくるぞ!」

 と、カソリ、おおいに吼えまくる。

「林道の狼カソリ」は「みちのくの狼」となって、東北を駆けめぐるのだ。

目標は5000キロを走ること。そのうちダートは1000キロ。

東北を6ブロックに分けたその第1弾目は奥会津だ。

「BO木賊軍団」の面々との、胸踊る再会も待っている。

◇◇◇

 午前4時、東京・渋谷区の「BO」編集部前。DR250Rの“みちのくの狼”カソリと、DJEBEL200のブルダスト瀬戸は、ガッチリ握手をかわす。これからの、北を目指しての、長い旅路の第一歩が今まさにはじまろうとしているのだ。

「ブルダストよ、さー、行くゼ!」

 と、気合を入れ、セル一発、エンジンを始動させ、夜明けの東京を走り出す。

 ツーリング日和の上天気。胸がワクワクしてくる。首都高速から東北道に入っていったが、東の空からはまっ赤な朝日が登る。まるで“みちのく5000”の出発を祝ってくれているかのようだった。

 宇都宮ICから日光宇都宮道路に入り、今市ICで高速道を降り、R121を北に走る。

「林道の前には、まず、温泉だよ」

 と、川治温泉の露天風呂に入り、心身ともにさっぱりさせたところで、R121を離れ奥鬼怒へと入っていく。

 川俣湖にかかる大橋を渡ったところで右折し、馬坂林道へ。“みちのく5000”の記念すべき第1本目の林道。時間は午前9時。ブルダストとガッツポーズで走りはじめる。 水溜まりが連続するダートを走る。新緑が目にしみるほどまぶしい。まるで緑のトンネルの中を走っていくようなものだ。

 右手に川俣湖をながめ、湖が途切れると、渓流沿いに走り、やがて土呂部峠へと登っていく。第1本目の馬坂林道は、ダート19キロだった。

 土呂部峠からは、関東と東北を分ける帝釈山脈田代山峠を越え、奥会津に通じる田代山林道を行く。ぼくの大好きな林道のひとつだが、この田代山林道の栃木側は、土呂部峠から8キロの地点で大崩落‥‥。

 工事現場の人たちは、

「今年いっぱいは、通れないかもしれないぞ」

 と、“我ら林道派”には辛いことをいってくれる。

「ブルダストよ、みちのくへの道のりは遠いねー」

 と、嘆きながら土呂部峠に戻った。

 峠から湯西川温泉に下る。

 平家の落人伝説の伝わる山間の名湯、湯西川温泉では、無料・混浴の共同浴場の湯に、地元のオバチャンと一緒に入る。

 湯から上がると、名産のソバを食べた。うーん、満足だ!

「よーし、ブルダストよ、今度こそは、絶対に奥会津に入るゾ!」

 と、ダート20キロの安ヶ森林道で帝釈山脈の安ヶ森峠を越え、ついに福島県に入ったのだ。

 第4本目の林道は、R352の旧道で中山峠に登り、そこから入る七ヶ岳林道。眺望抜群。奥会津の山々の稜線近くを縫って走る。

 奥会津の中心、田島に出、第5本目の林道、ダート30キロの大川林道に入っていく。

 男鹿岳の北側の峠を越えていくが、かなりのガレ場があり、駆け落ち風男女の乗ったマーチとすれ違い、カソリ&ブルダスト、ビックリ!

 それほどの路面の状態だ。

 大川林道を走りきって深山湖畔に出、那須温泉郷最奥の板室温泉に一晩、泊まる。

 1日でダート105キロを走破したので、グッタリ。夕食を終えると、死んだように眠った。

 翌朝は板室温泉の「一井屋旅館」で朝風呂に入り、朝食をしっかりと食べてから出発。那須から塩原へと塩那道路を走る。

 ぼくがこの道を初めて走ったのは、今から20年近くも前のこと。完成して間もない時期で、当時は“塩那スカイライン”と呼ばれていた。自衛隊がつくった道で、スカイラインとは名ばかりの、すさまじいばかりのダートが延々とつづいた。岩を崩しただけ‥‥といったダートを跳びはねながら走った。

 当時はガードレールやカーブミラーは一切なく、那須・塩原間の2000メートル近い山並みの稜線を走るので、路肩を踏み外すと、それこそ何百メートルもまっ逆さまに転落ということになりかねなかった。

 塩那スカイラインは関東でも超一級のダートコースだった。

 あれから20年、那須、塩原側ともに舗装が延び、案内板や標識、保安設備ができつつあるが、やはり塩那は塩那、今でもハードなダートがつづいている。

 男鹿岳の南側で稜線上に登ってからが圧巻!

 DRを止めてのぞき込む谷の深さといったらなく、ゾクゾクッと体に震えがくるほど。ダートに入って19キロの地点には、陸上自衛隊第104建設大隊の塩那道路完成記念碑が建っていた。

 43キロのダートを走りきり、塩原へと一気に下る。塩原元湯温泉「元泉館」の湯に入り、長大なダートコースを走った疲れを癒すのだった。

 塩原からは、R400で尾頭峠のトンネルを抜け、上三依に下り、R121で山王峠を越えて奥会津へ。

 ところで、R400の尾頭トンネルは新しいが、峠は古い。

 尾頭峠を越える街道は会津東街道と呼ばれていた。それに対して、R121の山王峠を越える街道は、会津西街道と呼ばれていた。会津側の人たちはといえば、R121を日光街道と呼んでいる。山王峠を境にして、1本の街道が会津街道日光街道に分かれるのだが、このあたりが峠と街道をめぐるおもしろさだ。

 奥会津に入ったところで、今度はR352を行き、中山峠のトンネルを抜け舘岩村へ。田代山林道に、福島県側から挑戦だ。

 田代山林道の福島県側は、栃木県側よりも、はるかに路面の状態がよく、けっこう高速で走れる。

 田代山峠の峠下の集落、水引を過ぎると、ダートに入っていくが、田代山林道には、何台もの乗用車が乗り入れていた。山菜採りの車だ。このあたりの山々は山菜の宝庫なのだ。

 田代山峠に向かって登っていくと、田代山(1926m)の登山口を通る。そこの駐車場にも、何台もの車が止まっていた。田代山の山頂近くは湿原になっているが、高山植物の宝庫で、この季節はニッコウキスゲチングルマなどが咲いている。

 水引からダートを15キロ走り、福島・栃木県境の田代山峠に到着。眺望抜群の絶景峠で、しばし峠に立ちつくし、関東と東北を分ける帝釈山脈の山々をながめる。ぼくにとっては思い出深い峠で、あの時、この時と、いくつもの思い出を目に浮かべるのだった。

 田代山林道を下り、奥会津湯ノ花温泉共同浴場(入浴料200円)に入り、ダート3キロの唐沢林道で唐沢峠を越え、木賊温泉へ。露天風呂(入浴料200円)に入ったあと、木賊軍団の待つキャンプ地へと急ぐ。木賊軍団というのは、昨年、この地で開かれた“BO林道祭り”に参加した面々のこと。“BO林道祭り”の盛り上がりは大変なもので、夜通し大宴会がつづいたのだ。

 そんな木賊軍団の中の渡辺恒介さん、中田静香さんらが音頭をとって、今回の同窓会をやろうということになった。なつかしのキャンプ地に着いて驚いたのは、同窓会とはいっても、林道祭りのときと変わらない60人近いメンバーが集合したことだ。木賊軍団の結束は固い!

 夜空を焦がして大きな焚き火を燃やし、そのまわりでの大宴会は、いつはてるともなくつづいた。

 翌日は、木賊軍団の面々との辛い別れ。何名かの同志がカソリ&ブルダストの“みちのく5000”に同行してくれるというので、9時30分、名残惜しいキャンプ地を出発。戸板峠を越えるダート12キロの戸板林道を走り、駒止峠から鳥居峠につづくダート11キロの鳥居林道を走った。

 最後は今回2度目の大川林道。ダート30キロを走りきると、全員で板室温泉の湯に入った。

 西那須野塩原ICで東北道に入り東京へ。22時30分、BO編集部着。全行程955キロのうち、4分の1近い234キロがダートだった。

■コラム■

 関東北部から東北にかけては、性器をまつる信仰が盛んだ。     

 男性器は“こんせいさま”といわれ、「金精」とか「金勢」といった漢字が当てられる。栃木・群馬県境の金精峠なども、峠の上の、金精さまをまつる金精神社にその峠名は由来している。東北の温泉地をまわるとすぐにわかることだが、立派な金精さまをまつっている温泉宿が多い。

 このような性器信仰というのは、たんに子宝に恵まれますようにというだけではなく、生殖イコール豊作ということで、五穀豊穣への祈願にもなっている。

 東日本の世界というのは、西日本とは違って、おおらかな性の世界だった。

 東北に混浴の温泉が多いのもその名残り。東日本特有の、そのような背景があつての性器信仰なのだ。