日本列島岬めぐり:第45回 日ノ岬(ひのみさき・和歌山)
(共同通信配信 1990年)
和歌山から国道42号で紀伊半島を南下していく。海南、下津あたりの海岸からは淡路島がよく見える。海は穏やかで、波ひとつない。
有田に近づくと、さすが紀州ミカンの本場だ。周囲の山肌一面がミカン畑で、山のてっぺんまで続いている。
国道沿いの無人の販売所で、料金箱に100円玉を1個入れてミカンを買った。ビニール袋に20個ほどの小粒のミカンが入っていたが、そのどれもがとびきり甘かった。
和歌山から60キロほど南に下った御坊で国道を離れ、日ノ岬に向かう。途中の煙樹ヶ浜は見事な松林だ。
名所の潮吹岩を見、三尾の集落から急勾配の道を登りつめ、日ノ岬に立った。国道42号からちょうど10キロだった。
日ノ岬では、こじんまりとした「アメリカ村資料館」を見学した。
アメリカ村というのは三尾の集落のことだが、そこにはアメリカ風の洋館が建ち並んでいたり、英語の看板があふれているわけではない。高い石垣や屋根瓦を漆喰で塗り固めた家々が目立つだけである。
明治20年、そんな三尾出身の工野儀兵衛が、カナダのバンクーバーに渡った。儀兵衛は苦労を重ねた末、旅館を開き、フレーザー川のサケ漁で大成功をおさめ、三尾の人たちを呼び寄せるようになった。それが「アメリカ村」のはじまりだ。
現在、三尾の人口は約1000人。その5分の1がアメリカ(カナダのことだが)帰り。バンクーバーとその周辺には、三尾出身の日系人が4500人も住んでいるという。
日ノ岬の展望台に立つと、紀伊水道の向こうに四国最東端の伊島と蒲生田岬が見える。さらにその向こうには、四国山脈の山々が幾重にも重なり合い、紫色に霞んでいた。