日本列島岬めぐり:第39回 部崎(へさき・福岡)
(共同通信配信 1990年)
九州最北端の岬、部崎には、門司港駅前から向かった。昭和17年の関門トンネルの完成以前は、九州鉄道網のターミナル駅だっただけに、門司港駅には歴史を積み重ねてきた風格が残っている。
まず、和布刈神社に寄った。この神社は関門海峡をまたぐ全長1068メートルの関門橋の真下にあり、目の前の早鞆の瀬戸は日本三急潮のひとつになっている。
ちょうどうまい具合に、潮の変わり目にぶつかった。日本海から瀬戸内海へ、まるで急流の川のように、潮が渦を巻いて流れていく。
激流を押し切って進もうとする小船は、人が歩くほどのスピードしか出ない。潮の流れがいかに速いかが、一目でわかる光景だ。
この和布刈神社の北に、まだ九州はあった。
コンテナヤードになっている田野浦と太刀浦の両埠頭だが、このあたり一帯は埋立地なので、もともとの九州でいえば、和布刈神社は最北になる。
新港の埠頭からさらに砕石場の中をスズキ・ハスラーTS50で走り、企救半島突端の部崎に立った。ここが九州最北端の岬(とはいっても田野浦と太刀浦はそれよりも若干、北になるが)。
丸みを帯びた石がゴロゴロしている海岸には、高さ20メートルほどの「僧清虚」の白い像が海に向かって建っている。
僧清虚は天保年間(1830~44年)に部崎の崖の上に草庵を結び、沖を航行する船の目印になるよう、夜になると火を焚いて航海の安全を祈ったという。
部崎は関門海峡の出入口にあたる岬で、まさに航海の要衝の地。洋式灯台ができるはるか以前に、雨の日も風の日も岬で火を焚きつづけた僧清虚は、日本の灯台事業の先駆者といえる人だった。
九州最北端の部崎に立つ灯台