賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

カソリの「宮本常一研究」(11)

「日本観光文化研究所」(第3回目)

(『ツーリングマップルマガジン』2008年Vol.3 所収)

「六大陸周遊」(1973年~74年)の旅から帰ったときは、前回でもふれたように、ぼくは大きな壁にぶち当たった。

 だが、それだけではなく、我が人生の転機をも迎えたのだ。

 じつはぼくの帰りを首を長くして待ってくれてる人がいた。後に我が妻となる洋子だ。洋子の故郷は新潟県の魚沼地方。雪が軒先まで積もる日本でも有数の豪雪地帯。

「雪おろしの手伝いにでも行くよ」と、軽い気持ちで暮れもおしせまった頃、2人で上越線の夜行列車で東京を発った。

 小出駅に着いたのは夜明け前。洋子の実家まで雪道を歩いていった。路面はカチンカチンに凍りつき、つるんと滑って見事に転倒…。

 途中、積もった雪の中に顔を突っ込み、どちらが長く我慢していられるかの競争をしたが、顔はたちまちひきつり、ちぎれんばかりの痛さ。とてもではないが長くはやっていられない。

「もうダメだ…」

 顔を持ち上げると、洋子はまだ雪の中。雪国の人にはかなわない…。

 洋子の実家に着くと、お母さんは甘酒をつくって待ってくれていた。体の芯まで冷えきっていたので、あったかな甘酒は体のすみずみにしみ込んでいった。

 朝食後、木でできた大きなヘラの「クスキ」を持って屋根に上がった。勇んで上がったものの、雪の積もった屋根はツルツル滑る。雪おろしどころか、滑り落ちないようにしがみついているので精いっぱい。

 そんな2、3日の滞在だったが、洋子の故郷は強烈な印象で自分の胸に残った。

 それ以降、洋子に会う回数は増えた。カソリ、熱病にかかったかのようで、後先をも考えずに「結婚してほしい!」と頼んだ。

「六大陸周遊」から帰ってまもない時期で収入もほとんどなかった。

 いい度胸をしているよ、ホントに!

 2度目に洋子の実家に行ったのは2月に入ってからのことだった。雪は一段と積もり、人の背丈をはるかに超えていた。

 洋子との結婚をお願いに行ったのだが、友人たちからは「ヘルメットをかぶっていけよ。どうせ反対されて、雪の中に放り出されるのに決まってる」と、さんざん脅かされた。

 だが、何ともありがたいことにご両親は賛成してくれた。

 それから結婚式まではわずか1ヵ月。

 最初は「2人だけの結婚式をしよう。どこか山奥の神社に行って、パチン、パチンと手をたたくんだ。そうだ、北アルプスが見える奥飛騨あたりがいいなあ」などと話していた。

 ところがまわりからの反対、圧力は強く、結局、我々は結婚式を挙げることになった。 とはいっても式の費用など一銭もなかった。そこで日本観光文化研究所(観文研)の宮本千晴さんにいろいろとお願いしたのだ。

 まずは結婚式場。1日1万円で借りた保育園が会場になった。

 次に仲人。宮本千晴さんご夫妻にお願いしたが、「カソリ、こういうのはな、オヤジの方がいい」といって宮本常一先生ご夫妻に頼んでくれた。

 宮本先生は生涯を通じてほとんど仲人をしていないが、千晴さんからのたっての頼みということで引き受けてくださった。

 観文研の神崎宣武さんが神主をしてくれることになり、さらに工藤員功さんが会場の飾りつけをしてくれ、山田まり子さんや佐々木真紀子さんらの観文研の女性陣がたいそうな料理をつくってくれた。

 式のプロデューサーは宮本千晴さんだ。

「六大陸周遊」の旅から帰って4ヵ月後の1975年3月16日、我々は1万円の結婚式をあげた。

 式の最中、神崎さんが祝詞をあげている時、「イシヤキーイモー、ヤキイモー」と石焼きいも売りの声が飛び込んできた。

 宮本先生はその時、懸命になって笑いをこらえておられた。

 宮本千晴さんは奥様とお子さん2人の家族連れで参加してくれたが、息子さん(先生にとってはお孫さん)の洋君がかわいらしいお祝いの言葉を述べてくれた時は、宮本先生は何ともやさしそうなお顔でほほえんでおられた。

 形どおりの式が終わり、宮本先生がプレゼントしてくださったケーキにナイフを入れると、そのあとは飲めや歌えの大宴会になった。

 先生はにぎやかな、みんながワーッとやるような場がお好きだ。

 ふだんはアルコール類は一滴も口にされないのに、「今日は特別だから」といって、ぼくのついだビールを飲んでくださった。

 酒宴も最高潮に達すると、先生はじつに渋い声で、奥三河の花祭の神楽歌を歌ってくださった。

 昼過ぎに始まった結婚式は延々と夜遅くまでつづいた。

 ぼくは腰が抜けるほどしこたま飲み、足がもつれてふらついた。夜も10時過ぎになって1万円の結婚式の大宴会はお開きになったが、宮本先生は何度も何度も握手をしてぼくを見送ってくださった。先生の手のあたたかさが年月を越えていまだに残っている。

 宮本千晴さんをはじめ、観文研のみなさんのおかげで結婚式をあげられたようなものだが、ぼくにとってはいまだに宮本常一先生ご夫妻に仲人をしていただいたのは大きな自慢になっている。

 それがどれだけぼくのバックボーンになったかしれない。計り知れないほどの大きな力を宮本常一先生は与えてくださったのだ。

 また、「1万円の結婚式」の神主をしてくださった神崎宣武さんは現在、「旅の文化研究所」の所長をしているが、日本の民俗学の世界では重鎮的な存在の方になっている。

 今となってはずっしりと重い「1万円の結婚式」だ。