賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

海道をゆく(17)「伊豆半島&静岡編」ガイド

※これ以降、本カテゴリのタイトル番号を通番に変更しています。

(『ツーリングGO!GO!』2005年6月号 所収)

1、潮吹崎

 伊豆半島「岬めぐり」の最初の岬。岬先端の岩場には潮吹岩がある。満潮時や荒天のときには、入口が狭く、中が広い徳利型の岩の口から潮が吹き上げる。

 岬の台地上の扇山展望台からは正面に川奈崎、背後に真鶴岬を眺める。岬に立って、別な岬を眺めるのはいいものだ。ところが今回は崩落の危険があるとのことで、潮吹岩への道も扇山への道も通行止めになっていた…。

2、赤沢温泉

 伊豆半島「温泉めぐり」の第1湯目で入った。海岸にうれしい無料湯の混浴露天風呂がある。湯は温めだったが、十分に入れた。湯につかりながら眺める赤沢海岸の海がいい。

 このあと大川温泉「磯の湯」(入浴料500円 10時~18時 年中無休)と熱川温泉「高磯の湯」(入浴料600円 9時30分~17時 年中無休)の2湯にも入った。ともに東伊豆の海を目の前にする温泉。海を見ながら湯につかるのは格別な気分。

3、稲取岬

 岬の高台上には白い四角い「稲取岬灯台」。その前の展望台からは太平洋を一望する。稲取港北側の黒根岬とトモロ岬もよく見える。この位置からだと2つの岬は重なり合って見える。

 灯台前の「どんつく神社」には毎年6月の第一火曜と水曜の「どんつく祭り」で引き回される巨大な男根がまつられている。木製のツルツルの男根。テカテカ光っている。もう「スゲー!」のひと言。

 神社前には「愛恋岬」の歌碑ができていた。その前に立つと、鳥羽一郎の「愛恋岬」の歌が流れてくる。つい先日、「しまなみ海道」の大島のカレイ山展望台で「瀬戸の水軍」の歌を聞いたばかりなので、「鳥羽さん、また会いましたね」と歌碑に向かっていってやった。稲取岬は今、「愛恋岬」で売り出し中。

4、白浜

 R135沿いの白砂の海岸。夏は海水浴客でおおいににぎわう。ぼくが「白浜」の地名ですぐに連想するのは「黒潮文化圏」。高知、南紀、伊豆半島、房総半島の「白浜」は黒潮という南から北への「海道」でつながっていた。名物の「サンマずし」も南紀の「サンマずし」との関連が大。

 ここの白浜神社は伊豆最古。祭神は伊古奈比○(いこなひめ)命。伊豆の一の宮、三島大社の祭神、事代主(ことしろぬし)命の妃だ。ということで白浜神社も伊豆の一の宮といっている。境内にはご神木の樹齢2000年の柏槇(ビャクシン)。アオギリの古木もあるが、この地は世界のアオギリの自生北限地。植物相でみても貴重なところといえる。

5、爪木崎

 須崎半島突端の岬。100万株の野水仙で知られ、12月下旬から1月中旬にかけて岬は水仙の花で揺れる。台地上には灯台。そこからは伊豆諸島の島々を眺める。

 灯台西側の断崖は「俵磯」といわれ、玄武岩の見事な柱状節理を見ることができる。岬の北側の磯は海草類の宝庫。海女さんたちがワカメやテングサ、ヒジキを採っている光景が見られる。

6、恵比寿島

 須崎半島南端の須崎漁港前の小島。島には橋を渡って入っていける。島全体が「恵比寿島公園」になっている。島のてっぺんに夷子神社。展望台からは伊豆諸島を眺める。灯台もある。島一周の遊歩道プラプラ歩きはじつに楽しい。

 島の東側の岩場は絶好の海釣りポイントで多くの釣り人を見る。島の西側は「千畳敷」の岩畳。ここならではの風景だ。

7、下田

「下田」は「浦賀」と同じように日本開国の歴史の舞台。下田港近くには「ペリー上陸の地碑」が建っている。下田港を見下ろす下田公園にはペリーとハリスのレリーフがはめ込まれた「開国記念碑」。その前が下田最大の祭り「黒船祭」式典の会場になる。

 東側の須崎半島に囲まれた下田港は天然の良港。江戸時代には上方と江戸を行き来する帆船の風待ち港としておおいに栄えた。

 下田は上方の文化がいち早く伝わるところだった。安政元年(1854年)、ペリーは「ポーハタン号」に乗ってふたたび来航。幕府はついにその威力に屈して日米和親条約を締結し、開国した。そのとき日本で最初に開港したのが下田港。もしタイムスリップできるなら、この時代の下田を見てみたかった!

8、玉泉寺

 R135から須崎への道に入ってすぐのところにある。安政3年(1856年)、ここに最初の米国領事館ができた。アメリカ総領事のタウンゼント・ハリスは下田に上陸すると、この寺を住居兼総領事館とした。境内にはハリスの記念碑と「ハリス記念館」(入館料300円)。ペリー艦隊の乗組員の墓もある。

9、了仙寺

 R136から下田港への道の途中にある。日米下田条約締結の地。日本が開国した日米和親条約は東海道の宿場町、神奈川で結ばれたので神奈川条約ともいわれる。その具体的、補足的な条約が下田条約になる。

 境内には「宝物館」(入館料500円)。ここは日本最大の黒船資料館だ。了仙寺のすぐ近くには「下田開国博物館」(入館料1000円 8時30分~17時)もある。

10、石廊崎

 伊豆半島最南端の岬。ちょっとショックだったのはジャングルパークが閉鎖されたこと。石廊崎にやって来る観光客が減ったのかなあ…。

 岬には灯台と石室神社。熊野神社の祠がまつられた岬の突端は「伊豆七島」の絶好の展望台。正面に新島を見る。そこに描かれた「伊豆七島展望図」には大島、利島、新島、式根島、神津島のほかに、式根島の後方に三宅島、式根島と神津島の間に御蔵島が出ている。

 しかし、この2島が見えることはほとんどない。今までに何度も石廊崎には来ているが、ぼくの経験からいうと1月の初中旬が一番、見える確率が高いし、またよく見える。大島から神津島までがはっきりと見える。夜、この岬に立つと、その手前の神子元島の灯台には驚かされてしまう。異様なくらいに明るい光を放っているのだ。

11、雲見温泉

 西伊豆の「温泉めぐり」の第1湯目。R135から崖を下った海岸に無料湯の混浴露天風呂がある。入口には「雲見温泉露天風呂 使用期間 6月中旬~9月中旬」とあるが、それ以外の季節でも入れる。おそらく湯温が低いからなのだろう。温めの湯につかり、目の前に広がる西伊豆の海を見る。

 つづいて北隣りの石部温泉の「平六地蔵露天風呂」に入った。ここも無料湯の混浴露天風呂。平六地蔵が見下ろす広い露天風呂を独占。平日の夕方ということで、ぼくのほかには誰もいない。ここはジャスト適温で広々とした露天風呂なので申し分ないのだが、ひとつ残念なのは湯船からは海が見えないことだ。

12、松崎温泉

 松崎海岸に落ちる夕日を見届けると、松崎温泉の国民宿舎「伊豆まつざき荘」(電話0558-42-0450)に泊まった。ここは西伊豆のカソリの定宿。人気の国民宿舎だが、平日だと飛び込み同然で泊まれることが多い。宿のみなさんは親切だし、夕食には海の幸がふんだんに出る。

 この日もアジの姿造りとマグロの刺し身、ダイコンを添えたサバの煮魚、アジなどのテンプラ、小魚の酢の物、小魚入りのダイコンなます…。ご飯は小エビを炊き込んだもの。追加でサザエの壺焼きを食べたが、ここのいいところは追加の魚介料理が豊富なことだ。

 湯もグー。石造りの広い湯船にはゆったりとつかれる。ひと晩中、入浴可なので夜中に目覚めると、すかさず湯に入った。夜明けに目覚めると、まずは寝起きの湯。これが最高に気持ちいいのだ。

13、堂ヶ島温泉

「沢田公園露天風呂」(入浴料500円 7時~19時)では朝湯を楽しんだ。ここの最大の魅力は露天風呂から眺める堂ヶ島の海岸美。遊覧船でめぐる海食洞の天窓洞のある亀島や蛇島、稗三升島を間近に見下ろす。駿河湾も一望だ。

14、浮島(ふとう)温泉

 共同浴場の「しおさいの湯」(入浴料500円 8時~19時)に入った。こぢんまりとした趣のある檜の湯船。湯につかりながら目の前の、これまたこぢんまりとした庭園を見る。「しおさいの湯」につかると、以前の無料湯だったことの共同浴場を思い出す。朽ちかけた湯屋だったが、地元のみなさんと一緒に入るぬくもりのある湯だった。「しおさい」の湯から海岸に出たところが浮草海岸。波静かな小さな入江だ。

15、田子

 R135の旧道を走ると険しい山並みがそのまま海に落ちる西伊豆の地形がよくわかる。その間にはいくつもの入江。

 そんな入江のひとつに田子漁港がある。ここは遠洋漁業の根拠地でカツオ漁で知られている。田子のカツオはうまいのだ。ここはまた伊豆カツオ節の本場で「田子節」をつくっている。「カツオ節」も「黒潮文化圏」のキーワード。南は鹿児島の枕崎から北は福島の中之作まで、黒潮文化圏にはカツオ節の産地が点々とある。

16、宇久須温泉

 ここではR135沿いの「うぐすの湯」(入浴料1000円 10時~21時)に入った。泡風呂に打たせ湯、寝湯、一番上に展望風呂。石の湯船に木枠の展望風呂は湯けむりがモウモウとたちこめる。

 湯から上がると、同じくR135沿いにある「八起」(電話0558-55-0859)で名物の「こあじ鮨」(小1200円)を食べた。ひと口サイズの小さな握り。アジの上にショウガと刻みネギがのっている。店の主人の話を聞きながら食べた。

 宇久須にはもう1軒、「こあじ鮨」を名物にしている店があるが、「そこは私の真似をしたもの」と店の主人は怒っている。ご主人は30年前に東京・芝から宇久須に移った。その理由というのはここだと新鮮な魚が手に入るからだという。宇久須での地魚との出会いの中で「こあじ鮨」を考案したという。

17、恋人岬

 駐車場から岬まではかなり歩くが、その間、自分一人なのはけっこう辛い。この岬にやってくるのはラブラブの若いカップルが大半だからだ。岬の突端には「愛の鐘」。自分一人で鳴らしても仕方ないので、カップルが3度、鳴らすのを見ていた。

 展望台からは海越しに富士山を見る。この恋人岬の展望台は「富士見台」といわれていた。昭和58年には「富士見遊歩道」として岬までの遊歩道が整備され、平成元年にグアム島の「恋人岬」と提携し、それまでの名無し岬(土肥の町の南側)が日本版の「恋人岬」になった。それが大当たり。今では西伊豆有数の観光地だ。それにあやかって土肥の町の北側には新たに「旅人岬」ができた。

管理人注:

この最後のところは、笹倉明の小説『旅人岬』にあやかって、と書くべきでしょうね。詳細は笹倉ブログへ!(笑)

18、土肥金山

 土肥に着くと、時間をかけて「土肥金山」(入山料840円 9時~16時30分)の坑道をめぐり、金山資料館を見学した。坑道には等身大の電動人形で当時の金採掘の様子が再現されている。

 土肥金山の開発は慶長15年(1610年)から。日本では佐渡金山に次ぐ第2の金山で、その坑道の総延長は100キロにも及ぶという。金山資料館には金山奉行の大久保長安像があった。岩見銀山や佐渡金山の奉行も大久保長安が勤め、金銀の増産を果たした。

 だが、不正な蓄財があったとして、死後、7人の子供たちは切腹させられた。大久保長安は謎の多い人物だ。同じ金山資料館には200キロの金塊。手を入れて触れるようになっている。この妖しげな金色の輝きが人心を惑わすのだ。

19、御浜(みはま)岬

 戸田港は達磨火山の河口湖。そういわれてみると、「なるほど!」という地形をしている。南側に長く突き出た岬が御浜岬。諸口神社があるので「御浜」なのだ。

 ここはスカシユリの群生地。6月には5万本ものスカシユリの花が咲き、岬はオレンジ色一色に染まる。ハマユウの群生地もある。7月から8月にかけては3万株のハマユウが白い花を咲かせる。イソブキの群生地もある。秋には3万株のイソブキが黄色い花を咲かせる。

 さらに岬の突端にはイヌマキが群生している。古木は樹齢数百年。全長750mの発達した砂嘴(さし)の御浜岬には豊かな自然の残されている。

20、「造船郷土博物館」

 西伊豆の小港に過ぎない戸田が、「造船日本」の夜明けの地であることが、御浜岬の突端にあるこの博物館を見学すればよくわかる。

 安政元年(1845年)、ロシアの使節、プチャーチン提督以下500名を乗せたロシア軍艦の「ディアナ号」(2000トン)は下田港に碇泊中、11月4日に起きた安政の大地震で大きな被害を受けた。「ディアナ号」は戸田港で修理することになり、回航中に沈没。ロシアに帰れなくなったプチャーチン提督は幕府に代船の建造を願い出た。

 その願いがかない、戸田で1艘の西洋型帆船がつくられた。それが「ヘダ号」。このとき船造りにかかわった戸田の船大工7人と配下の大工たちが、日本の近代造船界の祖となっていく。「ヘダ号」型の船はその後、戸田で6隻、東京の石川島で4隻、つくられた。(データ)入館料300円 9時~16時30分 水曜休み 電話0558-94-2384

21、国民宿舎「伊豆戸田荘」

 御浜岬の付け根にある「伊豆戸田荘」にはひと晩、泊まった。夜明けに屋上から眺めた岬越しに富士山がじつに見事。ここでの夕食だが、9月下旬から5月中旬までは「深海魚ずしコース」を頼める。深海魚の刺し身、煮つけ、フライ、マリネつき。戸田港は深海魚の水揚げされる漁港なのだ。とくに世界最大のカニ、高足ガニが有名。

「造船郷土博物館」には「深海生物館」が併設されているが、そこでは体長3mの高足ガニや数々の深海魚が見られる。

22、大瀬崎

 駿河湾の西浦海岸西端の岬。御浜岬と同じような砂嘴の岬だ。岬越しに富士山を眺める。ここではバイクを駐車場に止め、歩いた。

 岬の先端には大瀬神社。1500年もの歴史を誇る神社。境内には伊豆七不思議のひとつの神池。海のすぐそばなのに淡水なのだ。神秘的な池には3万匹以上の淡水魚がいるという。岬の先端は柏槇(ビャクシン)の樹林で覆われ、樹齢1000年以上の大木が何本もある。

23、三保

 三保は地形がおもしろい。全長4キロの砂嘴で、その先端には鎌崎、真崎、吹合岬の3岬がある。長い砂嘴に守られた内側が清水港、外側の長い砂浜が日本三大松原のひとつ「三保の松原」になる。その入口には駿河屈指の古社の御穂(みほ)神社。

 松並木の参道を真っ直ぐ海岸に向かったところに伝説の「羽衣の松」がある。樹齢650年で今では樹勢が衰え養生中だ。そこから富士山は見えない。清水灯台のある吹合岬まで行くとよく見える。駿河湾越しの富士山。吹合岬には三保飛行場。岬に飛行場があるのはここだけか…。

24、日本平

「清水日本平パークウエイ」(無料)で日本平に登ると、ぼくは真先に「日本武尊」を探した。思った通りで、やっぱりあった。タケルの像と碑が別々の場所にあった。

「日本平」の地名は日本武尊東征にちなんだもの。タケルはこの地で駿河を見回したというので「日本平」なのである。東名高速の日本坂トンネルの「日本坂」もタケルの越えた峠だから「日本坂」。

 焼津も草薙(静岡)もタケル伝説がらみの地名。ただし「静岡」はきわめて新しい地名で明治維新以降のものでしかない。もともとは「駿府」。勝てば官軍、負ければ賊軍で、駿府は官軍によって静岡に変えられた。

 静岡市街地北側の「賊機(しずはた)山」にちなんで名付けられた。さすがに「賊岡」にはできなかったのだろうが、それにしても静岡県人はよくだまっていたものだ。ここでも穏やかな駿河人を感じる。

25、久能山

 久能山の徳川家康をまつる東照宮にはR150側から登った(日本平からはロープウエイがある)。以前に来たときは1159段の石段などへでもなかったが、今回はヒーヒーいって登った。これって、花粉症のせい? いや、歳のせいなのか…。

 久能山の久能城はもともとは武田信玄が築いたもの。苦労して武田軍を撃退したあと家康はことのほか、この地を重要視し、「久能城は駿府城の本丸」といってたほどだ。家康は死後、ここに埋葬され、2代目将軍の秀忠が東照宮の社殿を創建した。(データ)拝観料350円 8時30分~17時 年中無休