四国八十八ヵ所めぐり(20)
2009年4月13日(宍喰→伊野・その4)
第27番・神峰寺の参拝を終えると、国道55号で安芸へ。
安芸の町中を通り過ぎたところで国道を右折し、大三菱の創始者、岩崎弥太郎の生家に立ち寄った。そのまわりには、ハウス栽培の畑が広がっていた。
国道55号に戻ると左手に土佐湾を見ながら走り野市へ。
野市の中心街を通り過ぎ、第28番の大日寺へ。山上の寺。本堂、大師堂と参拝したあと、奥の院まで足を延ばす。ここには弘法大師が楠の生木に爪で薬師如来像を彫ったという「爪彫り薬師」がまつられている。
つづいて第29番の国分寺へ。
四国八十八ヵ所には阿波、土佐、伊予、讃岐4国の国分寺が含まれている。ここは土佐国の国分寺。本堂、大師堂と参拝。田園地帯のただ中にある寺で、水の張られた水田では田植えが始まっていた。すぐ近くには『古今和歌集』の撰者、紀貫之邸跡がある。紀貫之は土佐守として赴任したが、それは土佐の国衙(国府の庁舎)跡だ。
国分寺の参拝を終えると、いったん四国縦貫の幹線、国道32号に出、県道384号で高知へ。その途中に第30番の善楽寺がある。
土佐の一の宮、土佐神社に隣接した寺。というよりも、土佐神社の境内の一角に善楽寺がある、といった方がいいかもしれない。この寺はもともと土佐神社の別当寺として弘法大師が開基した。長らく神仏混淆がつづいたが、明治維新の廃仏毀釈で廃寺になってしまい、再興されたのは昭和になってからのこと。
明治維新に吹き荒れた廃仏毀釈の大嵐では、土佐にあった615寺のうち、何と448寺が廃寺になったという。
土佐神社を参拝したあと、善楽寺を参拝。境内には梅見地蔵がまつられている。この梅見地蔵は首から上の病にはよく効くとのことで、梅見地蔵堂をお参りする人が多かった。
第28番・大日寺の山門
大日寺本堂
奥の院の「爪彫り薬師」
第29番・国分寺の山門
国分寺本堂
国分寺の大師堂
国分寺周辺の風景
すでに田植えが始まっていた
土佐神社を参拝
第30番・善楽寺本堂
善楽寺の大師堂
善楽寺境内の梅見地蔵