賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

カソリの島旅(10)母島(東京)

 (『ジパングツーリング』2001年8月号 所収)

「伊豆諸島編」を終え、「小笠原諸島編」に出発したのは2001年4月20日。小笠原海運の「おがさわら丸」(6679トン)にスズキSMX50とともに乗り込んだ。

 東京港・竹芝桟橋を出港したのは午前10時。午前中の出港で、さらに晴天ということもあって、いやがうえにも「船旅」に気分が盛り上がる。

「おがさわら丸」はレインボーブリッジの下をくぐり抜ける。右手に東京港のコンテナ専用埠頭、左手に台場を見る。やがて羽田空港の沖合を通り、東京湾を南下。小笠原諸島最大の父島まで約1000キロ、25時間余の船旅がはじまった。

「おがさわら丸」の便数は月に4便程度。父島の二見港に2泊か3泊し、東京港に戻る。ぼくの乗った4月20日発の便は二見港に2泊する便だった。この2泊3日で父島と母島の両方を見てまわろうとした。これはかなり綱渡り的な芸当だ。

 翌朝の9時、小笠原諸島北端の島々が見えてくる。北島、聟島、嫁島‥‥とつづく聟島列島の島々だ。ここはどこも無人島。やがて弟島、兄島、父島とつづく父島列島が見えてくる。父島の近くでは潮を吹き、尾を海上に上げた1頭のクジラを見た。

 11時30分、父島の二見港に到着。港のターミナルビル前にはタコの木やビーデビーデの亜熱帯樹。鮮やかな朱色の花をつけたビーデビーデは南洋桜ともいわれるそうで、亜熱帯の島にやってきたことを強烈に実感した。

 ここで12時30分発の「ははじま丸」(490トン)に乗り換える。母島の沖港到着は14時30分だ。

「ははじま丸」に積まれたコンテナからSMX50が降ろされると、さっそく母島を走りはじめる。母島は南北に細長い島。北進線で母島最北の北村へ。

 ビッグベイ(猪熊湾)やロングビーチ(長浜)を見下ろし、亜熱帯樹がうっそうとおい茂る桑ノ木山を越え、二十丁峠を越える。北村まで10キロ。北港跡の石づくりの桟橋で北進線は行き止まりになる。

 この北村には戦前までは約80戸の家があったという。村役場や郵便局、駐在所、旅館、小学校などがあり、東京からの定期船も寄港したという。だが今は1軒の家もない。小学校跡は亜熱帯樹のガジュマルの中に埋もれていた。胸のジーンとする光景だ。思わず「諸行無常」の言葉が口をついて出る。

 北村から沖港に戻り、今度は南進線を南へ。4キロほど走ると母島最南端の南崎に通じる遊歩道の入口に着く。約1時間、汗だくになって亜熱帯樹の覆いかぶさる小道を歩き、南崎の海岸に出た。

 目の前には鰹鳥島、丸島、二子島、平島、その向こうには姉島、妹島、姪島といった母島列島の島々が見える。すぐ左手には標高86メートルの小富士。日本最南の富士山だ。

 夕日に照らされた南崎をあとにし、沖港の民宿「つき」に泊まる。翌朝は夜明け前の4時に起き、母島の最高峰乳房山(463m)に登った。宿に戻ると朝食を食べ、母島の郷土資料館の「ロース記念館」(無料)を見学した。