賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

日本列島岬めぐり:第23回 禄剛崎(ろっこうざき・石川)

 (共同通信配信 1990年)

 能登半島を3つに分けて口能登、中能登、奥能登と呼ばれているが、奥能登の東北端の岬が禄剛崎である。

 奥能登の日本海に面した外浦は見所が多い。

 白米の千枚田は山の上から海岸まで段々になった2000枚以上の田がつづいており、目を奪われてしまう。正確には2092枚あるという。

 どれもチマチマした田で、1枚の田は平均すると2坪(約6・6平方メートル)にも満たない。米作りに執念を燃やし、懸命に生きてきた日本人の姿、歴史を白米の千枚田は見事に描き出していた。

 つづいて上時国家、下時国家の両豪農の家、曽々木海岸、日本に残された唯一の揚浜塩田を見てまわり、日本海に突き出た禄剛崎に立ったのだ。

 禄剛崎は新第三紀層の泥岩から成る海岸段丘で標高46メートル。切り立った岬先端の断崖上に立つと、目の前には日本海の大海原が広がっている。水平線上に佐渡が見える日もあるという。断崖下の千畳敷と呼ばれる岩礁地帯には荒波が打ちつけ、白い波が砕け散っていた。

 禄剛崎は古くから日本海航路の重要な地点で、この辺りの地名が狼煙であることからもわかるように、海岸防備の拠点とされてきた。奈良時代にはすでに狼煙台が置かれていたという。

 岬の先端には明治16年に完成したフランス人の設計による灯台。その手前には「日本列島ここが中心」の碑が建っていた。なるほど禄剛崎を中心にして円を描くと、日本本土最北端の宗谷岬と最南端の佐多岬が同心円上にくるのである。