日本食べある記(5)函館のイカソーメン
(『市政』1991年5月号 所収)
函館は北海道の玄関口である。
私はバイクで北海道を何度となく走りまわっているが、そのときはいつもフェリーで津軽海峡を渡っている。函館に上陸しないことには、どうしても北海道にやってきたという気分になれないのだ。
青函連絡船が就航していたころは、夜中に青森駅を発って、夜明けに函館駅に着くのが大好きだった。
青函トンネルが完成する1年前の梅雨の季節には、函館だけが目的で、函館に何日か滞在するつもりで、青森発0時30分の青函連絡船「羊蹄丸」に乗った。
短い眠りのあと、目を覚ますとすぐに甲板に上がった。夜明けの津軽海峡はないでいた。「羊蹄丸」はなめらかな海面をまるで滑るように進んでいく。
荒れた北国の海のイメージが強い津軽海峡だけに、あまりにも静かな海が信じられないほどであった。
明けゆく東の空を映して、海峡はバラ色に染まっていく。色づいた海に、それこそスクッという感じで、大きな山がそそり立っている。どこからでも、はっきりと、それとわかる山。函館のシンボル、函館山である。山裾のそこかしこには、まだ、ポツンポツンと街の灯が残っている。
「羊蹄丸」は、4時25分、函館港に到着。澄みきった夜明けの空に向かって、大きく息を吸う。空気がうまい!
梅雨前線がべったりとはりついた東京は、連日のように雨が降りつづき、私が上野駅を発った時も、雨は音をたてて降っていた。
それがどうだろう。
夜明けの函館は透き通るような青空で、さらりとした肌ざわりの空気とともに、異国に足を踏み入れたような気分にさせてくれた。
函館は薄紫色をしたライラックが花盛りで、やわらかな甘い香りをあたりに漂わせていた。大きな空といい、べとつきのない乾いた空気といい、私は何年か前に旅をした、同じ6月のシベリアの大地を思い出していた。
函館にはシベリアのハバロフスクやイルクーツクに相通じる異国の風が吹いていた。
何日か、函館の町をぶらついた。
繁華街の大門を歩き、湯ノ川温泉や谷地頭温泉の湯につかり、五稜郭やトラピスティヌ修道院などの名所を訪ねた。函館山に登り、山頂からの眺望を楽しみ、山裾から立待岬までの5キロあまりの散歩道を歩いた。
函館は伊豆の下田とともに、幕末の日本で最初に開港された。
当時は、“箱館”であった。
そのために文明開化の波は、いちはやくこの港町に押し寄せた。海峡を見下ろす外人墓地の十字架やギリシャ正教のハリストス正教会、あちらこちらに残る古びた木造の洋館、海へとつづく石畳の坂道、エキゾチックな元町の港を見下ろすカフェテラス…と、函館は異国情緒の漂う町である。
そのような函館で私が毎朝足を運んだのは、函館駅近くの朝市だった。
時間はまだ5時前だというのに、朝市は活気に満ちあふれ、誰もが忙しげに動きまわっていた。ドーム型をした建物の中では近郷近在の農家の主婦たちが、とれたての野菜を売っていた。可憐な白い花をつけたスズランも並んでいた。
この函館の朝市で目立つのは、それら野菜や花よりも、なんといっても鮮魚などの海産物である。
裸電球を数限りなくぶらさげた店先には、タラコやイクラ、スジコ…などが所狭しと並べられている。サケが無雑作に山積みされている。イカは、まだ、ピクピク動いている。津軽海峡、太平洋、日本海と三つの海でとれた何種類もの鮮魚や、毛ガニ、タラバガニ、コンブ、ワカメ…などなど、函館の朝市に並ぶ海産物は、豊かな北海の幸を十分に感じさせるものであった。
朝市の商品は、気持ちいいほどに、みるみるうちになくなっていく。買い物客は地元の人たちばかりではなく、よそから来た観光客の姿が目立って多い。
「これでは、ついつい、買いすぎてしまうわね」
華やいだ婦人たちの声も聞こえる。今では、朝市はすっかり函館の名物で、本州各地からの買物ツアーが来るほど。朝市に並ぶ品々はどれもが新鮮で値段が安いと、きわめて好評なのである。
函館の朝市とその周辺には、何軒もの食堂がある。午前4時前から開いている店もある。気取った店はなく、函館人の生活の匂いがしみこんだ店ばかり。どの店もちまちまとして小さいが、なにしろ新鮮な魚介類を食べさせてくれるので、味は申し分ない。そのうえ量が多くて安いときているので、函館に滞在した何日かは、もっぱら朝市の食堂を食べ歩いた。
まずは朝市ラーメンを食べた。
札幌ラーメンのこってりとした味とは違って、函館ラーメンは、さっぱりとした塩味が特色だ。具がすごい。毛ガニ、エビ、ホタテ、イカ、トウモロコシと、朝市の人気商品がゴソッとのっている。時間はまだ5時前だというのに、景気づけに一杯ひっかける朝市のオヤジサン連中や、腹ごしらえをするオカミサンたちで店はにぎわっていた。
次に食べたのは、ホッケの焼き魚と三平汁。ホッケというと、東京育ちの私には干し魚ぐらいしか頭に浮かばなかったが、鮮魚は適度な油っこさがあって、身はひきしまり、
「なかなかのものだな」
と、思わせるのに十分な味だった。
店の主人の話によると、
「函館の人間にとってホッケといったら、それこそいやになるくらいに、しょっちゅう食べる魚だよ」
ということになる。
三平汁はいかにも北海道らしい汁だ。
ブツ切りにしたサケが、ジャガイモやダイコンと一緒に、塩味でもってよく煮込まれている。サケは骨までやわらかくなっているので、全部、食べられる。
その次に食べたのは、ソウハチの焼き魚と酢でしめたイワシ。
ソウハチは、私にとってはじめて聞く名前だったが、北海道ではホッケと同じようによく食卓にのぼる魚だそうで、店の主人によると“宗八”と書くそうだ。それともう一品、酢でしめたイワシだが、イワシが生で食べられるのだからよっぽど新鮮なのだ。これら魚料理2品に、シジミの味噌汁とご飯がついた。ご飯と味噌汁はともにドンブリで出た。
函館の町を歩いていると、あちこちで「江戸鮨」の看板を目にする。
朝市内にも鮨屋があって、イカ、ウニ、ホッキガイ、ハモ、ホタテ、スジコ、ヒラメと、満腹になるくらいに握ってもらった。東京の鮨屋だったら、これだけのネタで食べたらたいへんな散財になるところだが、そこは安さ自慢の函館の朝市だけあって、私の懐具合でも十分に食べられるのがうれしい。
さらに朝市での食べ歩きはつづいた。
次の日にはタコ刺し、ホッケの煮魚、カレーの煮魚などを食べた。カレーの煮魚などは、ちょっとひときれというのではなく、頭と尾を落としただけの、まるまる一ぴきなのである。とにかく、ボリュームが満点なのだ。
さて、このようにして朝市の食堂を手を変え品を変え食べ歩いていたが、函館の味で一番印象に残ったのはイカ料理の数々である。津軽海峡でとれたばかりのスルメイカを料理したもので、イカ刺し、イカメシ、イカソーメンと、どれもが函館を強く感じさせた。
イカ刺しは、幅広く切るのではなく、細切りにし、ショウガ醤油につけて食べる。
イカメシは、函館本線森駅の駅弁として全国的に有名になったが、足とワタを抜いたスルメイカの腹の中に米をつめ、口をつまようじで止めてから水炊きし、煮つけたものである。
さて、私が“これぞ函館の味・ナンバーワンだ”と、いたく感動したのは、イカソーメンである。きっぷのいい食堂の主人は、鮮やかな包丁さばきで、とれたてのイカをトントン、トントンと、細切りにする。
「朝市のイカはまだ生きているからね。この活きのよさが、なんたって、ウチの自慢!」 食堂の主人にそういって出されたイカソーメンは、ガラスの器に氷を入れ、ダイコンの千切りを敷いた上に、細く長く、それこそソーメンのように切ったイカを乗せてある。それをタレにつけてスルスルッと食べるのである。
シャキッとしたイカの歯ごたえと、のどの通りと、国の中に広がるかすかな甘味がたまらない。
ところで、日本人の食生活にはなじみの深いイカだが、その種類は多く、スルメイカ、マイカ、ヤリイカ、ケンサキイカ、モンゴウイカ…など、日本近海だけでも100種あまり、全世界の海になると500種にもなるという。
津軽海峡はイカの好漁場で、函館に水揚げされるイカの大半はスルメイカ、そのほかにヤリイカがある。日本全体でみても、イカの漁獲量の7割をスルメイカが占めている。
函館のイカの解禁は6月1日。
イカ釣り漁船は夕暮れに出漁し、一晩中、漁をつづけ、夜明け前に帰港する。すぐさま魚市場でセリにかけられ、まだピクピク動いているイカが、朝市の店先に並ぶのである。 函館山の先端、立待岬に夜、立つと、まるで暗い波間に明かりが灯ったかのように集魚灯をコウコウと灯けたイカ釣り漁船の一団を見ることができる。スルメイカの灯火に集まってくる習性を利用しての漁法である。
なお、ヤリイカは定置網でとっている。
イカ漁は夏から秋にかけてが最盛期で、年内いっぱい行われる。その間に見ることのできる、津軽海峡の波間に揺れる漁火はなんとも幻想的で、岬の先端に立ってそれをながめていると、スーッと引き寄せられてしまいそうな妖しさを秘めていた。