ユーラシア大陸横断(26)ブレスト→ワルシャワ
(『ツーリングGO!GO!』2002年11月号 所収)
2002年7月30日(火)晴 ブレスト→ワルシャワ 225キロ
8時、「ホテル・インツーリスト」のレストランでの朝食。
9時、出発。5キロほどでポーランド国境に到着。
ベラルーシの出国が大変だった。出国を待つ長い車の列に並び、やっと最初のバーまで来たが、何とラインが違うと難クセをつけられ、別のラインの最後部に戻された。
延々と待たされ、やっと最初のバーを突破し、2番目のバーまで来ると、今度は出国税を払っていないといわれ、別なオフィスで1人20USドルを払わされた。
最後はパスポートコントロール。
国境事務所までの100メートルほどの車の列はほとんど動かない。動かないまま、昼が過ぎた。この日も猛暑。日影をさえぎるものもない。モロに直射日光を浴びつづけるので、頭がガンガン痛み出してくる。もう日射病でぶっ倒れる寸前だ。
ぼくはそれまでに世界の130余国に入ったが、出国手続きでこれほど待たされた国はない。我慢に我慢を重ね、やっとベラルーシを出国。ポーランドに入国手続きにはほとんど時間はかからなかった。
ベラルーシからポーランドに入ったのは国境に到着してから6時間後の15時過ぎだった。
国境からは国道2号で首都ワルシャワへ。
18時、ワルシャワに到着。「ホテル・アラミス」に泊まる。夕食はホテルのレストラン。ライス&チキン。
夕食後、夜の町を歩いた。
ワルシャワは1990年の「世界一周」以来で、12年ぶりになるが、町並みはすっかりきれいになっていた。車も新車がバンバン走っている。ボロ車はほとんど見られない。市電もバスも新しくなっている。店のショーウインドーには豊富な商品が並んでいる。
1990年に来たときはとにかくモノがなかった。
スーパーマーケットに入っても、閑散とした品揃え。町を走りまわっているのは大半がオンボロ車。
町のあちこちにはフリーマーケットができていた。そこでは野菜類やリンゴ、オレンジなどの果物類、キャンディーやチョコレートなどの菓子類、パン、チーズ、ハムといった食料品から衣類、本、工具、カセットテープ、ラジカセ、カメラ…と、いろいろなものが露店もしくは小屋掛けの店で売られていた。
売る側も、買う側も、嬉々としている(ように見えた)。
ぼくはそのとき、ふと戦国の武将、織田信長が岐阜城下に開いた楽市、楽座がこんなものでなかったかと思ったほどだ。
1990年はまさに激動の「東欧の時代」で、社会主義体制が崩壊し、資本主義体制に組み込まれていった年。ワルシャワは資本主義体制下の12年間で大きく変ったのだ。
ワルシャワで泊まった「ホテル・アラミス」