賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

秘湯めぐりの峠越え(15)金精峠編

 (『アウトライダー』1996年6月号 所収)

奥日光の温泉めぐり

 神奈川県伊勢原市の自宅を出発したのは、午前10時を過ぎていた。

 200㏄のツーリング用バイク、スズキDJEBEL200を走らせ、R246で都内へ。環8経由で外環道に入り、東北道、日光宇都宮道路と高速道を一気走りし、14時、日光に到着。ここまでの210キロをノンストップで走ったが、13リッターのビッグタンクを搭載したDJEBEL200なので助かった。

「さー、温泉だ!」

 と、気合を入れ、JR日光線の日光駅前をスタート。R120を行く。まだ紅葉の残るいろは坂を登り、中禅寺湖へ。奥日光の温泉めぐりの開始だ。

 第1湯目は、中禅寺湖畔の中禅寺温泉。みやげもの店で入浴料の500円を払い、隣あった「マリーナホテル湖月」の大浴場に入る。なんと入浴客はぼく一人。温泉ホテルの湯船を独り占めにしたのだ。

 温泉のハシゴ旅で入る、この第1湯目ほどうれしいものはないが、湯につかりながらのガッツポーズで、

「やったゼー!」

 と、叫んでやるのだった。

 第2湯目は、同じく中禅寺湖畔の菖蒲ヶ浜温泉の「幸の湖荘」(入浴料300円)。地方公共団体職員の共済施設なので設備がいい。

 第3湯目は、R120から山王峠方向に向かって走ったところにある光徳温泉。光徳牧場がすぐ近くだ。シラカバ林に囲まれた温泉リゾートホテルの「日光アストリアホテル」(入浴料1000円)の内風呂と露天風呂に入った。

 こうして奥日光の豊かな自然に囲まれて湯につかっていると、つい4、5時間前まで、東京の大渋滞にもまれてバイクを走らせていたのが、まるでうそのようだった。

金精峠下の日光湯元温泉

 光徳温泉からR120に戻り、湯ノ湖から流れ落ちる高さ45メートルの湯滝を見、湯ノ湖の湖畔にある日光湯元温泉に行く。そこが今晩の宿泊地。金精峠下の日光湯元温泉には、全部で30軒ほどの温泉ホテルや旅館があり、奥日光最大の温泉地になっている。

「さあ、宿をどこにしようか‥‥」

 と、いつものように『全国温泉宿泊情報』(JTB刊)のページを開き、日光湯元温泉の項を見る。けっこう宿泊料金の高いホテルや旅館がずらりと並んでいる中にあって「紫雲荘」や「湯元旅館」が安そうだった。

 さっそく電話すると、一番最初に電話した「紫雲荘」が宿泊0K。一発目の電話で宿を確保できたときのうれしさというのは、わかってもらえるだろうか。ということで「紫雲荘」に行ったのだが、家族的な雰囲気の、肩肘張らずに泊まれる宿だった。

 まずは温泉。ハシゴ湯で入る温泉と、泊まりの宿で入る温泉は、また味わいが違うのである。湯量が豊富。熱い湯が音をたてて、湯船から流れ出ている。泉質は硫黄泉。湯につかると、ザーッと盛大に湯がこぼれ出る。温泉はこうでなくては。どっぷりと湯に身を沈めていると、無上の喜びを感じる。温泉ほど気分をハッピーにさせてくれるものもない。

 湯から上がると、冷たいビールをキューッと飲む。

「ウメー!」

 1日の走りを終え、温泉につかり、湯上がりのビールを飲むこの瞬間は、まさに至福のときだ。人生、ほかに何を望むことがあるのだろうか‥‥と、心底、そう思ってしまうほどだ。

 夕食には、日光らしく、湯葉料理や湯葉の入った煮物が出たが、夕食後に湯に入り、寝る前にも湯に入り、翌朝も、起きるとすぐに湯に入った。

 朝風呂から上がると、夜明けの温泉街を歩いた。晩秋の山の空気を吸いながらのプラプラ歩きは気持ちよかった。湯ノ湖の湖畔を歩き、70度以上の高温の湯が湧き出ている日光湯元温泉の源泉を見、温泉神社と温泉寺に参拝した。

 この日光湯元温泉には、何度か泊まったことがある。一番最初は10数年前のことだ。そのときは「自在の湯」と「御所の湯」という2つの共同浴場があった。ひなびた湯小屋の共同浴場で、たしか、2つとも無料湯だったと思う。温泉宿に泊まって共同浴場の湯に入るのは、それはまたいいものだが、湯につかりながら地元のみなさんといろいろと話した思い出が残っている。だが、今はもう共同浴場はない。それがちょっぴり寂しかった。

天気がガラリと変わった金精峠越え

 日光湯元温泉の「紫雲荘」では早めの朝食にしてもらい、7時半に出発。金精峠を越える有料の金精道路を走ったが、8時前なので無料。“早起きは三文の得”といったところだ。

 晩秋の奥日光の峠道は寒い。身震いしながらDJEBEL200に乗る。金精峠に向かって峠道を登るにつれて、眺望がよくなる。日光湯元温泉の温泉街を見下ろす。湯ノ湖を一望する。日光のシンボル、男体山が弱々しい朝日を浴びて、うっすらと赤く染まっている。前方には、温泉岳(2338m)がそびえている。

 金精峠は、全長755メートルの金精トンネルによって貫かれているが、ヘアピンカーブの連続する峠道を登りつめ、金精トンネルの入口に到着。

 栃木県日光市と群馬県片品村の境になっている金精峠は、奥日光の最高峰“日光白根”の白根山(2577m)と温泉岳の間の峠で、標高2024メートルと高い。峠の頂上には、男性器をかたどった金精さまをまつる金精神社があり、峠名はそこからきている。子供のできない女性たちは、どうか子宝に恵まれますようにと、峠の金精さまに願をかけたという。

 金精峠はかつては、木叢峠とも呼ばれていたそうで、その名からもわかるように、峠周辺はうっそうと茂る原生林で覆われていた。この金精峠をブチ抜く金精トンネルが完成したのは昭和40年のこと。全長755メートルの金精峠の完成によって、初めて車で金精峠を越えられるようになったのだ。なにしろ雪深い奥日光のこと、金精道路は12月から4月まで冬期閉鎖となる。

 ぼくにとっては、忘れられない金精峠越えがある。

 何年か前のことだが、今回と同じように日光湯元温泉に泊まり、翌日、金精峠を越えて沼田に向かった。ところが金精峠を抜け出たあたりでガス欠。コックをすでにリザーブにしておいたのをついうっかりと忘れてしまったのだ。ギアをニュートラルにして峠をなんとか下り、丸沼湖畔の丸沼温泉までバイクを押した。そして、丸沼温泉でガソリンをわけてもらった。今となっては、なつかしい思い出だ。

 そんな金精峠だが、峠のトンネルに入り、栃木県側から群馬県側に向かって走る。ところが、トンネルを抜け出たところでは、

「シマッター!」

 と、思わず声をあげてしまった。路面が凍結し、ツルンツルンのアイスバーン。心臓が凍りつくような瞬間だが、からくもバランスを保ち、転倒もせずに左コーナーを曲がることができた。

 金精峠を越えて変わったのはそれだけではない。一面の深い霧なのだ。視界が10メートルもないような濃霧の中をヨタヨタしながら峠道を下っていくのだった。

鎌田の尾瀬鎌田温泉

 金精峠を下り、菅沼、丸沼という2つの湖を通りすぎたあたりで霧が切れた。峠下の、白根温泉「加羅倉館」(入浴料400円)の湯に入る。大浴場は湯気がもうもうとたちこめている。源泉は62度という高温の湯。泉質は含芒硝食塩泉。「加羅倉館」は午前6時半から午後8時半まで入浴可で、ツーリング途中の立ち寄りの湯としては絶好だ。

 片品村の中心、鎌田に着くころには、日が差してきた。ここでは、尾瀬鎌田温泉「梅田屋旅館」(入浴料600円)の「水芭蕉の湯」と名づけられた趣のある内風呂に入り、それに隣あった露天風呂にも入った。鎌田は昔の三平峠を越えて会津に通じる沼田街道の宿場町だったところで、「梅田屋旅館」は、歴史と風格を感じさせる宿の造りだ。