賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

『アフリカよ』(1973年7月31日・浪漫)第一章(その1)

1 わからない明日を求めて

出発まで

岸壁を離れた

 雨はやんでいた。

 ひくく垂れた雲、重い汐風、黒いオランダ移民船の舷側。紙テープと叫び声。船は動くともなく岸壁との間に水をおき、ひろげてゆく。肉親と友だちはすでに陸の上にいる黒い影、どんどん引きはなされていく小さな点であり、ぼくたちはそれとはまったく違う、海と風の中にいる人間なのであった。

 これから地球を半周して、大きな、どえらい空間に放たれてゆく、自分を放しにゆく。そんな気負ったものとはピッタリ重ならない、奇妙にしずかな、どうということもない風景なのだが、まあどうでもいい。そんなものだろう。どこかに、遠足に出発する小学生のような気分もある。昭和四十三年四月十二日、午後五時三十分という時刻。横浜港を出てゆくルイス号という二〇、〇〇〇トンの外国船に、ぼくたちは運命をあずけたのだ。

見えてしまった明日

 三等Bの二段ベッドにもぐりこんで、ぼくはドロドロに眠った、と言ってもいいが、いくら連日の疲れと言っても、さすがに瞼(まぶた)の裏にかけすぎるフィルムがあって、さまざまな絵があって、すぐには眠りにとび込めない。

 ぼくは泥んこのボールを追っている。敵も味方も、どのユニフォームも、どの顔もまっ黒だ。ただ闘志だけが走り、ぶつかり合い、叫んでいる。S高校のチームを迎えてのサッカー新人戦。昭和四十年二月。前日の雪が泥にかわった苛酷なグラウンド。痛いエラー。足をとられ、なんども泥水の中に叩きつけられる……。

 いつも、くりかえし出てくる同じ絵。どうしてそれがアフリカにつづくのだろうか。

 ぼくには、ほんとうは、わかっていた。それは一つの頂点であり、頂点における挫折であった。サッカーに賭けられたぼくの青春は中学二年のときにはじまった。三年の秋に東京二位。翌年、高校一年の新人戦で足くび骨折、二年の夏すぎに膝の故障。ぼくは屈しなかった。たおれてもたおれても、すぐ戦列に復帰した。翌春二月の新人戦には、だから、どうしても勝たねばならなかった。一回戦、二回戦と勝ちすすみ、S高校との対戦。力つき、勝機はつぎつぎと去った。どうしてもつかまえられない。0対2が、すべてが終ったとき、ぼくの眼の前にある絶対の事実であった。

 敗北と屈辱のあとに出てくる現実はきびしかった。三月、四月、新学年、大学受験。ぼくは「浪人」という姿をどうしても自分の上に重ねてみることはできない。成績はどん尻だ。あたりまえだ、サッカーよりほかのことを考えなかったのだから。

「オレ、もうサッカーやめる」

 キャプテンのF君に言った。

「そうか」

とFは言ったきり、口をむすんで押しだまった。

 ガリ勉がはじまった。あさましい、とより言いようのないガリ勉。成績はぐんぐん上がる。今までがひどすぎたのだから当然だ。しかし、成績が上がることで満足か。

 自分でもよくわからない、いらだたしさ。空虚感、ときには胸をかきむしられ、号泣したいようなものが、ぼくの中にある。(なんでこんなことをしてるんだろう。こんなことをして、いったい、どうなるんだろう)サッカーの夢を見る。ほかの夢は見ない。あれをやめたのは、まちがいだったのではあるまいか。

 毎日机をならべている友だちを一人でも多く追い抜いてゆくこと。そのような積み重ねの上に出てくるぼくの明日。

 ある日、まったく突然、ぼくはガクンと立ちどまった。それがどんな日だったか思い返せもしないほど、それは強烈にぼくをつかんだ。

 それは、(見えちゃった!)ということだった。逃げたくても逃げることのできないレールの上にのせられてしまった、自分の明日の姿、というものであった。それは一度おちこんだら這い出すことのできない蟻地獄のようなものに映った。人間なら誰しも持っている無限の可能性。それはぼくにも、まちがいなく与えられている。ぼくはそう信じたい。ところが、そんなことはどこかにフッ飛んでしまい、ただ黙々とレールの上を進んでゆくしかない。何かしたくてたまらないのに、何もできないで、はっきり見えてしまっている明日にむかって、ただ歩いているだけの自分。

 そうだ。

(見えている明日)

 それが、ぼくをとび上がらせたのだ。ぼくは叫び出し、駆け出したかった。

(これでいいのか。いいはずはない。いいはずはない……)

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最後に、この『アフリカよ』のテキスト化にあたり、古林明さんのお力添えを賜りました。管理人も最終的な校正をしたつもりではありますが、古林さんのテキストがなければ企画自体、できなかったと思います。

ここに記して謝意を表します。ありがとうございました!