賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

カソリの食文化研究所:第8回 輪島編

 (『ツーリングGO!GO!』2003年3月号 所収)

 冬ツーリングには、なんたって鍋だ。

 絶対に鍋だ。誰が何といおうとも鍋なのである。 

 とはいっても、ただの鍋では我慢できないカソリ。「食文化研究家」の心をくすぐるような、研究意欲を満たしてくれるような鍋でなくてはならないのだ。そこであれこれ考えた末の結論が、能登半島の輪島に、

「いしる鍋を食べに行こう!」

 ということだった。

 いしる鍋というのは、奥能登特産の魚醤、いしるを使った鍋料理。このいしるというのは、日本の食の文化財といってもいいほどで、かつては日本各地(とくに沿岸一帯)で使われていた魚醤の数少ない残存例なのである。

 ちなみに魚醤というのは、魚を塩漬けにして重しをかけ、しみ出る汁を漉したもの。魚のうま味のたっぷり入った調味料である。

 日本ではほかには秋田のしょっつるがよく知られている。

 金沢の市場、近江町市場をプラプラ歩いたあと、愛車のスズキDJEBEL250XCで能登半島に入っていく。

 有料の能登道路を走り、輪島に直行。

 切り裂く寒風も、湯気の立ちのぼる鍋が待っていると思うと、平気で我慢できる。頭の中はもう「いしる鍋」で一杯。

 日暮れの輪島に到着すると、まずは宿を決め、町を歩いた。日本海から吹きつけてくる北西の季節風が冷たい。

 逃げるようにして入った店が、地魚料理を得意にしている「名月」。いい店に入った。メインの「いしる鍋」の前座といったところで、輪島の銘酒「菊天女」を飲みながら、まずは焼きイカを食べる。

 イカといってもただのイカではない。いしるの原液に2時間ほど漬けて一夜干ししたものなのだ。地酒といしるの風味のしみ込んだ焼きイカの取り合わせは絶妙。いしるには日本酒がよく合う。

 次に、店のご主人の角藤義一さんは「これは私のウラ技さんですよ」といって、

「イカのいしるソーメン」

 を出してくれた。

「イカソーメン」にいしるをかけたもので、ツルツルツルッとのどをすり抜けていく食感がいい。

「クワーッ、たまらないゼ!」。

「菊天女」の酒量がグーンと上がってしまう。この「イカのいしるソーメン」もすごく日本酒に合う。

 そしていよいよメインイベントの「いしる鍋」を食べるときがやってきた。

 たっぷりといしるの入った土鍋をコンロにのせ、煮えたぎってきたところで、ナスやネギ、ダイコンの野菜類とエノキ、イカ、甘エビを入れる。

「いしる鍋」の具の中心は野菜類。魚介類は素直な味のものを入れるのがコツだという。具の中ではとくにナスがうまかった。たっぷりといしるのしみ込んだナスには、いしる特有の濃厚な味わいというか、コクがあった。いくらでも食べられる。

 最後に輪島塗りの黒塗りの合鹿椀に盛ったご飯に、「いしる鍋」のいしるをかけて食べた。これがまた、うまいんだ!

 何種もの具の味がしみ出たいしるは、ひときわうま味を増していた。

「いしる鍋」に大満足したところで、ご主人に話を聞いた。

 いしるには2種類あって、イワシからつくる魚醤を「いしる」、イカからつくる魚醤を「いしり」といって呼び分けているという。

「いしり」の方がちょっと色は濃いめで、初めての人でも食べやすいので、「今日の鍋はいしりを使いましたよ」とのこと。

 大手醤油メーカーもいしるには注目し、いしるをブレンドした特選醤油も出ているという。

「昔の食料難時代には、よく冷や飯にいしるをかけて食べましたよ。それがまた、うまいんですね」と、ご主人はなつかしそうにそんな話もしてくれた。

 翌朝は輪島の朝市を歩いた。小ビンに入ったいしるを売るおばちゃんがいる。

 その隣りでは鯛ちくわのいしる焼きを売っていた。1本200円。それをかじり、いしるを味わいながら朝市を歩いていると、「インドシナ一周」のときの、東南アジア各国での市場歩きが思い出されてならなかった。

 タイのバンコクを出発点にし、ラオス、ベトナム、カンボジアとまわり、最後にまたバンコクに戻った「インドシナ一周」(1992年~1993年)だったが、そこはまさに魚醤文化圏の中心地なのである。

 タイではナンプラー、ラオスではナンパー、ベトナムではニョクマム、カンボジアではトゥク・トレーといっている魚醤が今でも調味料の中心的存在になっている。

 輪島のいしるは能登半島特有のものではない。インドシナを中心とする世界の広範なエリアの「魚醤圏」があって、日本はその東端に位置しているが、その中での能登半島のいしるなのである。

 ダイナミックに広がる世界の食文化に思いを馳せながら、ぼくは輪島の朝市を歩きつづけた。

「食文化は奥が深いゾ!」

 と、心の中で思わず叫んでしまう。