賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

カソリの新・峠越え:神奈川(5)菩提峠

 2006年3月30日午前9時、神奈川県伊勢原市の自宅を出発。スズキDR-Z40Sで国道246号を走り、善波峠(神奈川-1参照)を越える。峠を下りはじめたところで左折し、第1回目同様、弘法山に寄り道する。

 弘法山は善波峠の南側の山で、善波峠同様、関東平野と秦野盆地を分けている。駐車場にバイクを停め、プラプラ歩く。ここからは大山から岳ノ台、二ノ塔、三ノ塔へとつづく丹沢の山々が眺められた。標高237メートルの山頂には弘法大師の木像をまつる釈迦堂と鐘楼がある。「乳の井戸」跡もある。この「乳の井戸」の水で粥を炊くと乳が出るようになるといい伝えられ、昭和30年、乳期の若い母親たちや妊婦たちが遠方からこの水を求めて弘法山にやってきたという。

 弘法山からその南の権現山へと尾根道を歩く。満開目前の桜が見事だった。標高243メートルと、弘法山よりも若干高い権現山の山頂には展望台がある。そこからは秦野盆地とその向こうに連なる箱根の山々を一望した。

 こうして弘法山と権現山を楽しみ、国道246号に戻り、名古木の交差点を右折。県道70号でヤビツ峠(神奈川-4参照)に向かい、藤棚バス停のあるT字の交差点を左折。角にはコンビニの「ampm」。丹沢山麓の道を行く。途中で「実朝首塚」に寄る。

 源実朝鎌倉幕府の3代目将軍。1219年(承久元年)、兄頼家の子、公暁に暗殺された。ここには実朝の五輪塔の墓がある。「首塚」というからには実朝の首が葬られたのであろう。小公園もあり、売店では地元産の野菜や特産品を売っている。水車で挽いたソバ粉をつかったそば店もある。富士山がきれいに見える。

 ここから菩提(ぼだい)の集落へ。葛葉川にかかる橋を渡ってすぐの十字路(点滅信号あり)を右折し、葛葉川沿いに登っていく。この道が菩提峠に通じている。青少年野外センターを過ぎると山中に入り、急勾配の曲がりくねった峠道を登っていく。表丹沢林道(ゲート)を横切り、さらに登ったところで菩提峠に到達だ(※URL先の「ちず丸」では”菩薩峠”とミスしていますが…=2008年5月21日時点)。峠には丹沢全体の案内図が出ている。ここからだと二ノ塔、三ノ塔が近い。

 峠には「日本武尊足跡」の木標。日本武尊には非常な興味を持っているカソリ、さっそく「日本武尊足跡」を見にいくことにした。バイクを峠に停め、山道を登っていく。二ノ塔の方向に向かっていきなり急坂がはじまる。ヒーヒーハーハー肩で息をし、あっというまに汗だくになる。たどり着いた「日本武尊足跡」は、ほんとうに足跡で、大石に見事なくらいに足跡がついている。

 伝説によると日本武尊は東国の蝦夷(えびす)平定の際、菩提山(二ノ塔)から大山へと向かったという。そのとき水を渇望し、大石を踏むと水が湧き出たという。「日本武尊足跡」からは同じ道で菩提峠に戻ったが、往復で1時間の山歩きだった。

 菩提峠周辺は広々したススキの原になっている。ここはかつてのスキー場跡。終戦後の一時期、東京から最も近いスキー場としてオープンさせたとのことだが、雪が少なくて長続きしなかった。そんなかつてのスキー場跡をバイクで走ってみた。

 菩提峠を下るとすぐに、ヤビツ峠を越える県道70号にぶつかる。そこには「富士見山荘」。その先、100メートルほどのところには丹沢の名水「護摩屋敷の水」がある。湧き出る名水をゴックンゴックンと苦しくなるほど腹いっぱい飲んだ。菩提峠で1時間、大汗をかいて歩いたので、体が水を欲していたのだ。渇いた体にはよけいにうまい水だった。

 ヤビツ峠越えのときと同じように県道70号で宮ヶ瀬に向かっていく。境橋を渡ると、秦野市から清川村に入る。そこは札掛。民営国民宿舎の「丹沢ホーム」がある。このあたりは丹沢の豊かな自然にふれられる一帯で、「東丹沢県民の森」もある。モミの自然林もある。丹沢をこよなく愛し、丹沢に住みつき、「丹沢ホーム」をつくった中村芳男さんの書いた『丹沢・山暮らし』(どうぶつ社)という本を読んだことがあるが、中村さんの自然に寄せる思いには感銘を受けた。中津川の渓谷を走り、宮ヶ瀬に出ると、ヤビツ峠のときと同じように土山峠を越えて伊勢原に戻った。

権現山の山頂
権現山の山頂

実朝の首塚
実朝の首塚

菩提峠の頂上
菩提峠の頂上

日本武尊の足跡
日本武尊の足跡