賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

日本食べある記(10)めはりずしとクジラ料理

(『市政』1994年9月号 所収)

紀勢本線の車中で食べる「めはりずし」

 南紀の中心、新宮から紀勢本線の鈍行列車に乗って、“クジラの町”太地に向かった。太地でクジラ料理のフルコースを食べようという魂胆なのだ。

 新宮駅では、名物駅弁のめはりずしを買った。それを食べながら車窓を流れていく南紀の海を眺める。真夏の太陽を浴びて、南紀の海の青さがひときわ際立っていた。

 このめはりずしというのは、タカナの漬物の茎を細かく刻んで飯に混ぜ、大きなお握りを握り、それをタカナの漬物の葉で包み込んだものだ。もともとは、山仕事に出かけていく男たちの弁当だった。目を見張るような大きさなので、その名があるという。

 駅弁のめはりずしは、一箱に6個入っていた。食べやすくしてあるのでひとつひとつは小さい。私は一度、これぞ本物というめはりずしを食べたことがある。

 熊野本宮大社(本宮町)、熊野速玉大社(新宮市)熊野那智大社(那智勝浦町)とバイクで“熊野三山”を駆けめぐり、平家の落人伝説の残る色川郷に行ったときのことだ。

 最奥の篭という集落には一軒だけ店があり、パンと牛乳を買って昼食にした。パンをかじり、それを牛乳で流し込みながら、店の奥さんと話をした。

 このあたりは、昔から林業の盛んなところだった。だが、若者たちは新宮や大阪に出てしまうので、村は寂しくなり、労働力不足からほったらかしにされる山が多くなったと嘆いていた。

 店の奥さんは、私がパンを食べおわり、牛乳を飲み干すと、大皿にめはりずしを三つのせ、「食べなさい」といって、持ってきてくれたのだ。そのめはりずしというのは、ソフトボールのボールぐらいの大きさなのである。

「めはりずしというのはね、あんまりにも大きいので、目をパチクリさせて食べるところからその名があるって、聞いていますよ」

 紀勢本線の車中で駅弁のめはりずしを食べながら、南紀の山村で味わっためはりずしを思い出すのだった。

クジラの町、太地を歩く

 新宮から30分で列車は太地駅に到着。太地の町は駅からかなり離れているが、森浦湾の入り組んだ海岸線の道をプラプラ歩いていく。さすがに日本の捕鯨発祥の地であり、クジラ漁で栄えた太地だけあって、町の入口には「鯨博物館」がある。海岸には南氷洋捕鯨で大活躍した「第十一京丸」という捕鯨船(キャッチャーボート)が展示されている。

「鯨博物館」を見学。1階にはセミクジラなどの骨格標本、2階にはクジラの生態、3階には700年に及ぶ捕鯨の歴史が展示されている。1階から3階まで吹き抜けになっていて、そこにはセミクジラとそれを追う実物大の勢子船がつり下げられている。迫力満点。クジラを追う太地の漁師たちの熱い息吹が伝わってくる。

 太地漁港まで歩いていく。

 常渡半島のつけ根に位置する太地漁港は、太地湾の一番奥まったところにある天然の良港。波ひとつない湾内は漁船でうめつくされている。

 昭和55年に南氷洋での母船式捕鯨が禁止、昭和63年には商業捕鯨が全面的に禁止されて、世界一の捕鯨国日本は大打撃を受けた。“クジラの町”太地も、かつての捕鯨で栄えた面影はない。

 それでも太地では細々とではあるが、捕鯨がつづけられている。ごく限られた沿岸捕鯨である。太地港所属の捕鯨船は2隻あるとのことで、そのうちの1隻を港内に見ることができた。船首には“大砲”と呼ぶモリを備えつけた船。もう1隻は、銚子沖で操業中だという。この捕鯨船ではゴンドウクジラのうち、マゴンドウを捕っているという。

 捕鯨船のほかに、突き漁でクジラやイルカを捕る漁船(小船)が、何隻も停泊している。全部で28隻を数えるという。これら突き漁の漁船は、ゴンドウクジラのうちのハナゴンドウと、バンドウイルカ、スジイルカ、アラリイルカなどのイルカを捕っている。だが、捕ることのできるクジラの頭数は漁船の数にも満たないという。

 浜で漁具の手入れをしていた年老いた漁師さんに話を聞いたのだが、

「昔の太地は、それはクジラ漁で栄えたものだよ」

 といった話を何度も、何度もくり返すのだった。

 今ではどこにでもある漁港の風景でしかない太地だが、大正年間には、料亭が7軒あり、芸奴が30人もいたという。これもクジラ景気がもたらしたものだ。

 昭和5年のクジラの捕獲頭数は全部で524頭(そのうち482頭がゴンドウクジラ)あったとのことだが、それも今は昔の話になってしまった。

クジラ料理のフルコース

 夕暮れまで太地の町を歩きまわったあとで、ひと晩の宿となる太地温泉の国民宿舎「白鯨」に行く。

 南紀のこのあたりは、まさに温泉天国のようなところ。いたるところで、温泉が湧き出ている。常渡半島の対岸には、白浜温泉とともに南紀を代表する勝浦温泉があるし、湯川温泉やゆりの山温泉、夏山温泉もある。それらの温泉はどこも湯量豊富で、熱い湯が湯船からザーザー音をたててあふれ出ている。

 国民宿舎「白鯨」にチェックインすると、まずは温泉に入る。ガラス張りの大浴場。肌になめらかな無色透明の湯につかっていると、太地の町を歩きまわった疲れがスーッと抜けていく。湯につかりながら、夕日にきらめく熊野灘を眺めた。

 湯から上がると、夕食だ。

“クジラの町”太地だけあって、クジラコースの夕食はクジラ、クジラ、クジラ。まさにクジラのオンパレード。クジラ料理のフルコースなのである。

 まずは湯上がりのビールである。クジラのベーコンを肴にして、キリッと冷たいビールを飲んだ。クジラの本場の太地だけあって、さすがと思わせるベーコンの味。酢味噌につけて食べる。肉厚で、食べごたえがあり、なおかつ、ビールによくあった。

 クジラのベーコンを味わいながら、なつかしさをも味わった。私は昭和22年に東京で生まれ、東京で育ったが、子供時分、小学校低学年くらいまでは、クジラのベーコンはしばしば食卓にのった。まさに家庭の味だった。それがいつしか、食卓から消えていった。 ビールを飲みおわったところで、クジラのフルコースを食べはじめる。

 どのようなクジラ料理かというと、次のようなものである。

①刺し身。クジラ料理のフルコースの主役のようなものだが、“尾の身”の刺し身である。尾の身というのは、クジラの尾のつけ根のところにある肉で、鯨肉のなかでは最も美味とされている。ショウガ醤油につけて食べる。それと、赤身の肉。“ウネス”と呼ばれる白い脂身の間にはさんで食べるのだが、さっぱりした味わいの赤身とトロッとした白身が混じり合ってえもいわれない味になる。

②サエズリ。サエズリは、鳥などのさえずりと同じ言葉で、クジラの舌を意味する。とろけるような舌ざわりで牛タンよりも美味だ。サエズリは酢味噌につけて食べる。

③コロ。皮から脂分を抜いたものでシコシココリコリとした歯ごたえ。淡白な味で、これも酢味噌につけて食べる。キュウリとサクランボが添えられている

④オバケ。オバケとはいっても、お化けのことではない。尾羽毛のこと。ワサビであえているので、薄いミント色をしている。あっさりした味。かむと、クチュクチュクチャクチャとまるでチューインガムのようだ。

 長崎人も昔からクジラをよく食べることで知られているが、私は長崎でオバケをつくるのを見せてもらったことがある。それを湯かけクジラといっていっているが、塩漬けにしたクジラの尾の先をゆがき、薄く切り、熱湯をかけ、水でさらしたもの。フワフワッと、まるで雪が積もったかのように広がる。長崎では酢味噌につけて食べていた。

⑤内臓。ヒャクヒロ(腸)とマメワタ(腎臓)をゆで、甘辛く煮つけたもの。ダイコンおろしがついている。ヒャクヒロは百尋と書く。ひと尋は両手を広げた長さ。その100倍ということで、クジラの腸の長さをいいあらわしている。

 このヒャクヒロも、前項同様、長崎でつくるところを見せてもらったことがある。つくり方は次のようなもの。まず、冷凍してあるクジラの腸を氷水の中で徐々に解凍し、それと同時に十分に血抜きをおこなう。次に、解凍した腸を塩でもみ、腸内の内容物を洗い出し、うすく塩味をつけ、もとに戻して切り口や破れ口を縫い合わせる。そしてゆでる。沸騰した釜の湯の中に入れると、最初は沈むので焦げないようによくかきまぜ、煮えてくると浮き上がってくるので落とし蓋をし、重しをのせる。こうして4、5時間かけて煮る。最後に冷水で冷し、水切りする。このように、食べられるようにするまでに、大変な手間暇をかけているのだ。

⑥鯨肉の佃煮風ゴマあえ。

⑦鯨肉のすきやき。

 クジラ料理のフルースを食べると、クジラだけで満腹になってしまう。クジラ以外のものというと、酢漬けにした小魚のフライとサラダ、漬物、それとデザートだけだった。