賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

「鈍行乗り継ぎ湯けむり紀行」(14)

(月刊『旅』1995年2月号 所収)

温泉で早起きの眠気を吹き飛ばす

 東北本線宇都宮線)の一番列車、上野発5時09分の黒磯行きに乗り込む。7両編成の電車はガラガラ。これから青森へ、さらには北海道に渡り、日本最北の稚内まで行くのだ……と思うと、胸の高鳴りを抑えることができない。

 列車が栃木県に入り、小山を過ぎると、夜が明けてくる。西の空には、十六夜のまん丸な大きな月が残っている。あたりは霜でまっ白。駅に止まり、ドアが開くたびに、ドドーッと冷気が流れ込んでくる。車内にいながら、ブルブルッと身震いしてしまうほどだ。

 7時45分、黒磯着。東野交通のバスに乗り換え、那須湯本へ。

 何度もくりかえしていっていることだが、今回の温泉めぐりは“鈍行列車プラス徒歩”の旅の仕方をつづけている。だがどうしても那須岳周辺の那須温泉郷は、“はしご湯”してまわりたかったので、「黒磯―那須湯本」間の往復はバスに乗ることにした。

 黒磯は寒さこそ厳しかったが、雪はなかった。ところがバスで35分、終点の那須湯本温泉に着くと、うっすらと雪が積もっている。このあたりは標高900メートル近いので下界とは気温が違う。

 那須温泉郷の中心となる那須湯本温泉では、雪の参道をサクサクと踏みしめて、温泉神社に参拝する。境内には五葉松の名木。温泉地に温泉神社もしくは温泉寺はつきものだが、この那須湯本温泉温泉神社は歴史が古い。平安中期の延喜式の、関東では数少ない式内社になっている。

 温泉神社で旅の安全を祈願したあと、那須温泉郷の第1湯目、那須湯本温泉共同浴場「鹿の湯」(入浴料300円)に入る。

「鹿の湯」は、鳴子温泉宮城県)の「滝の湯」や飯坂温泉福島県)の「鯖湖湯」などと並ぶ東日本屈指の名共同浴場といっていい。源泉は78度の高温の湯。浴室内にはモウモウと湯けむりがたちこめている。かぶり湯で熱い湯に慣れ、湯温の違う木の湯船に、湯温の低い方から高い方へと順々に入っていく。

 湯につかりながら、思わず、「フーッ」と、大きく息をはく。気持ちいい! 

「極楽だ、天国だー!」

 と、叫びたくなってしまう。

 今朝は一番列車に乗るために、4時、起床。早起きの眠気も、上野から列車、バスを乗り継いでここまでやってきた疲れも、一瞬にして吹き飛んでしまう。

「日本人にはやっぱり温泉だよ」

 と、一人でウンウンと、うなずいてしまう。

 と、同時に、こういうときは自分の中にも脈々と流れている“温泉民族・日本人”としての血を強く感じてしまうのだ。

 湯の中では地元の黒磯から奥さんと一緒に車でやってきたという中年の人と話したが、「鹿の湯にはよく来るんですよ。最高の湯ですからね。こういう湯に入っていると人間、長生きできますよ」

 といっていた。

那須高原で南国気分を満喫

 那須湯本温泉からは、弁天温泉大丸温泉→旭温泉→北温泉→八幡温泉と、那須岳中腹の那須温泉郷を歩いて“はしご湯”する。天気は絶好の“徒歩日和”。抜けるような青空が広がっている。芭蕉の「奥の細道」にも登場する殺生石の遊歩道を歩いたあと、雪道を歩きはじめ、那須高原有料道路を登っていく。有料道路とはいっても、もちろん、徒歩は無料だ。

 標高1049メートル地点の展望台からの眺めが絶景!

 足もとに殺生石那須湯本の温泉街を見下ろし、茫々と広がる那須野原を一望し、その向こうに連なる八溝山地のなだらかな山並みを眺める。

 体の向きを変え、後ろを振り向くと、雪化粧した那須連峰が、ものすごい迫力で目の中に飛び込んでくる。右手に朝日岳(1903m)、正面に那須連峰の主峰、茶臼岳(1917m)。茶臼岳からは、雲と見間違うかのような噴煙が噴き上がっている。

 これが“歩き”のよさなのだが、風景を体感できるとでもいうのか、展望台からの眺望がぼくの目の底に、まるでプリントされたかのようにしっかりと焼きついて離れない。

 茶臼岳に向かって登りつづけ、那須温泉郷の第2湯目、弁天温泉に到着。まずは白滝弁天に参拝する。参道の入口には、「従是右 弁天湯」と彫り刻まれた、江戸後期・天保年間の石の道標が立っている。

 膝までズボズボともぐる雪道を下り、白滝弁天に参拝。お堂の裏の岩壁には、長さ2、3メートルの氷柱が何本も垂れさがっている。その光景は、那須の冬の厳しさを見せつけていた。

 この白滝弁天に隣あった「弁天温泉旅館」(入浴料1000円)の湯に入った。湯量の豊富な温泉で、温泉プールや湯滝(打たせ湯)がある。

 茶臼岳を目の前にする第3湯目の大丸温泉では、「湯泉望」(入浴料750円)の内風呂と露天風呂に入った。ここでは「大丸温泉旅館」の川をせき止めた露天風呂がよく知られている。

 那須湯本温泉から大丸温泉までは登り坂だったが、大丸温泉を過ぎると下り坂になり、楽に歩けるようになる。

 那須温泉郷の温泉めぐり後半戦の開始だ。旭温泉、北温泉、八幡温泉の3湯は、どこも一軒宿の温泉。まず、旭温泉に行ったが、現在は休業中で入れない。つづいて、北温泉。自動車道の行き止まり地点から500メートルほど下ったところに、「北温泉旅館」(入浴料700円)がある。

 那須温泉郷の中では、三斗小屋温泉と双璧を成す秘湯。昔ながらの温泉宿の建物が、そのまま残っている。混浴の浴室に掛かる大きな天狗の面が印象的だ。湯量が豊富で、ザーザー音をたてて、湯が木の湯船から流れ出ている。内湯につかったあと、打たせ湯に打たれ、山々に積もった雪を眺めながら温泉プールで泳いだ。

 最後は、那須温泉郷随一の眺望を誇る八幡温泉。近代的な温泉ホテルは、その名も「一望閣」(入浴料1000円)。目の前の高原はツツジの大群落地。花の季節はそれはすばらしいことだろう。那須野原の向こうに八溝山地、その左手には阿武隈山地の山並みが延び、福島県白河の白っぽい町並みがはっきりと見えた。

 こうして6時間半かけて、那須温泉郷をめぐったが、今回立ち寄った6湯のほかに、新那須温泉高雄温泉板室温泉三斗小屋温泉を加え、“那須十湯”といわれている。

 全湯制覇こそできなかったが、那須温泉郷の温泉めぐりをし、那須岳中腹から那須を一望したことによって、古代日本では下野国から独立して一国を成していた“那須”が、グッと身近な存在に感じられるようになった。

 自分の足で歩きまわったところというのは、なんともいとおしくなる。

 名残おしい那須温泉郷をあとにし、15時05分発のバスで黒磯へ。16時22分発の東北本線の鈍行・仙台行きに乗る。3両編成の電車。車窓から眺める那須連峰は、夕日を浴びてまっ赤に染まっていた。

岳温泉からの地獄の雪道歩き

 栃木県から福島県に入る。福島県といえば、日本でも有数の“温泉天国”だが、それら温泉は奥羽山脈の周辺に集中し、東北本線沿線の温泉というと、福島駅から福島交通飯坂線の電車で行く飯坂温泉ぐらいしかない。

福島県内の温泉に1湯も入らないでいくなんて‥‥、そんなことは絶対にできない」

 ということで、東北本線の二本松駅からはかなりの距離があるが、一晩、岳温泉で泊まることにした。

 白河、郡山と通り、18時06分、二本松着。福島交通のバスで、岳温泉へ。その間、10キロ。行きはまたしてもバスに乗ってしまったが、帰りは歩くのだ。黒磯駅から電話を入れた民営国民宿舎「寿泉荘」に行くと、夜の7時を過ぎていたのに、夕食を用意してぼくを待ってくれていた。ありがたいことだった。

 翌朝も、4時起床。まっ先に、朝風呂(夜中風呂?)に入る。何度もいっていることだが、ぼくはこの、寝起きの朝風呂が大好きなのだ。ほんとうに気持ちいい。

 眠っている間に体に溜まった毒素が、全部、スーッと抜けていくような気持ちのよさ。で、温泉宿でも、24時間いつでも湯に入れる宿が一番いい。岳温泉「寿泉荘」の湯を独り占めにし、たっぷりと時間をかけて朝風呂を楽しみ、いよいよ地獄の雪道への挑戦がはじまった。

 なぜ地獄かといえば、一晩中、雪が降りつづき、前夜とは比べものにならないくらいに雪が積もっていたからだ。そんな雪道をスニーカーで歩くのだから、たまったものではない。おまけに、耳がちぎれそうになるほどの寒さ。強烈な寒さだ。

 奥羽山脈から吹き下ろす寒風のせいで、地吹雪の様相。ひとつ救いなのは、ずっと、下り坂がつづくこと。山麓の集落まで下り、雪がやんだときには、

「助かったー!」

 と、冗談抜きで、思わず叫んでしまったほどだ。

 道路沿いの自販機でHOTのカンコーヒーを買い、飲む前に両手でカンコーヒーを握りしめ、すっかりかじかんだ手を温める。紫色になった指先は、血の気が戻ると、ジンジン痛む。もう、凍傷寸前なのだ。

 二本松駅までの10キロの雪道を1時間45分で歩き、7時05分発の仙台行き列車に乗る。暖房のきいた車内に入ったときは、また天国に戻ったような気分。天国→地獄→天国と、めまぐるしいほどの変化。これが旅のおもしろさなというものだ。

 福島県から、宮城県に入る。東北本線宮城県内の温泉めぐりの開始だ。

 第1湯目は白石駅で下車する白石温泉。蔵王の山々を間近にする白石には、鎌先温泉と小原温泉という名湯があるが、駅からはちょっと距離があり、また、2つの温泉の方向が違うので、この2湯を断念し、徒歩30分の白石温泉「ホテル本陣」(入浴料500円)の湯に入った。

 第2湯目は船岡駅で下車する神次郎温泉。「大元荘」(入浴料300円)の湯に入る。白石温泉よりも遠い、駅から徒歩45分ぐらいの温泉なので、帰り道は足早に歩いた。

 第3湯目は、仙台を通り過ぎ、13時22分着の鹿島台駅で下車する鹿島台温泉(みちのく温泉)。地図を見て、だいたい3キロぐらいだろうと当たりをつけて鹿島台駅を降りたのだが、これが大外れ……。倍の6キロぐらいはあるという。

 鹿島台発15時39分の一関行きに乗らないと、このあとの予定がたたなくなってしまうので、制限時間129分で鹿島台温泉にトライすることにした。歩いていたら時間切れになってしまうので、大汗をかいて田んぼの中につづく一本道を走る。

 高台の上にある国民年金健康保養センター「みちのく路」(入浴料670円)に着くと、すぐさま、展望大浴場に駆け上がっていく。かなり塩分の強い湯に早業でドボンとつかり、帰り道はまた汗ダクになって走る。

 滑り込みセーフといった感じで、15時39分の列車に間に合った!

“みちのく美人”との出会い

 東北本線も、宮城県から岩手県に入ると、

「あー、北に来たなあ」

 という実感がする。

 一関で乗り換え、17時53分、花巻着。花巻駅前から、岩手県交通バスで、花巻南温泉峡最奥の新鉛温泉まで行く。その間は約20キロ。ここも行きはバスだが、帰りは花巻南温泉峡の温泉群を花巻へと歩きながら、“はしご湯”するつもりなのだ。バスの終点、新鉛温泉に着いたのは夜の7時過ぎだった。

 新鉛温泉では、一軒宿の「愛隣館」に泊まった。近代的な高層温泉ホテル。部屋に入ると、すぐに浴衣に着替え、露天風呂つきの大浴場の湯に入る。源泉の湯は60度以上の高温だ。

 湯から上がると、若い女性が、夕餉の膳を部屋まで運んでくれた。キラキラと輝く黒い瞳が魅力的な“みちのく美人”。着物姿の彼女の胸もとには、“田面木”と書かれたネームカード。ぼくのこのあたりのチェックは、じつにすばやいのだ。

「珍しいお名前ですねー」

「これで“たものき”といいます」

「ぼくの名前の“賀曽利”も珍しいけれど、これで“かそり”って読むんですよ」

 珍しい名前同士ということで、遠野出身の田面木千春さんとはすっかり気が合った。

「明日は、ここ新鉛温泉から、花巻まで歩いていくつもりなんですよ」

 というと、千春さんは、驚いたような顔をする。

「私も遠足で遠野を40キロ、歩いたことがあります。早池峰山(遠野の北にそびえる標高1914mの、北上山地の最高峰)にも登りました。でも……、最近は車に乗ってばかりで……、あんまり歩きません」

遠野物語」で有名な遠野は、ぼくの好きな町のひとつ。それだけに、千春さんの話をきいていると、遠野盆地とそれを取り巻く北上山地の山々がまぶたに浮かんでくるようで、遠野の話でひとしきり盛り上がった。

 翌朝の朝食も、千春さんが給仕をしてくれた。彼女のおかげで、食事をよりおいしく食べられただけではなく、新鉛温泉の印象がよりよいものになった。

 ありがとう“みちのく美人”の千春さん! 

花巻南温泉峡を歩く

 午前8時に、新鉛温泉を出発。気温は氷点下5度。パリンパリンに凍りついた雪道を歩く。青空が顔をのぞかせているのがありがたい。これから、豊沢川沿いの花巻南温泉峡の温泉、ひとつずつに立ち寄りながら、花巻までの20キロを歩きとおすのだ。

 新鉛温泉にひきつづいての、花巻南温泉峡の第2湯目は、鉛温泉。一軒宿「藤三旅館」(入浴料300円)の湯に入る。

 鉛温泉新鉛温泉とは対照的な、昔ながらの温泉宿で、旅館部と湯治客用の自炊部に分かれている。自炊部の中には、食料品などを売っている店がある。いかにも“東北の湯治宿”といった風情で、人々の肌の温もりを感じさせてくれるような温泉宿。ここのだ円形をした湯船がユニーク。底が深い。湯船の中にしゃがみこむのではなく、立ったまま湯につかるようになっている。

 ところで今回、JTB出版事業局の“温泉博士”安藤典子さんからお借りした、1冊の貴重な本を持ち歩いた。昭和2年に、鉄道省より発行された『温泉案内』。それはまさに“鈍行乗り継ぎ”で入るのにはぴったりの温泉ガイドで、日本全国の温泉が、鉄道の路線別に紹介されている。各温泉地ごとの温泉旅館名・部屋数・総畳敷・宿泊料・自炊制度がふれられている。

 すごいなと思うのは、昭和初期という時代も、現在と同じように、いや、もしかしたらそれ以上に、大勢の人たちが温泉めぐりをしていたということだ。それが、この『温泉案内』を読むと、よくわかる。

 現在の温泉と、昭和初期の温泉を比較してみたくて、この本を持ち歩いたのだが、“鉛温泉”の項を見ると、当時は「藤三旅館」のほかに、「藤徳旅館」、「藤友旅館」、「安浄寺旅館」と、全部で4軒の温泉旅館があったことがわかる。宿泊料は2円から3円とある。現在の「藤三旅館」の宿泊料は8000円から1万2000円。これが鉛温泉をめぐる70年間の変化である。

 花巻南温泉峡の第3湯目は、高倉山温泉。一軒宿「豊楽園」(入浴料300円)の湯に入る。男湯と女湯に分かれているが、簡単に女湯をのぞけるようになっているのがなんともいいではないか。

 このあたりが東北の温泉の特徴で、男湯と女湯へのこだわりが薄い。それだけ東北人はおおらかなのだ。だからこそ、東北には今でも、混浴の温泉が多いのだろう。窓をあけると、目の前を豊沢川が流れている。源泉45度の単純泉にはぬめりがあり、肌に薄い膜が張るような感じの湯だった。

 第4湯目の山ノ神温泉(入浴料400円)も一軒宿の温泉で、浴室内には湯けむりがモウモウとたちこめていた。湯量の豊富な温泉だ。

 第5湯目は、大沢温泉。旅館部と自炊部に分かれている「山水閣」(入浴料400円)の内風呂と、露天風呂に入る。ここの露天風呂はいい! 

 湯につかりながら、雪景色を眺め、豊沢川の渓流を眺める。対岸には、別館の「菊水館」。この大沢温泉の露天風呂は、カソリ、おすすめの湯。なぜかというと、混浴で、外来客の入浴時間が午前7時から午後8時半と長く、ぼくは今までに何度かこの湯ではいい思いをしているのだ。女性、とくに若い女性と一緒になるチャンスはきわめて大きい。

 新鉛温泉から大沢温泉までが、花巻南温泉峡の温泉めぐりの前半戦。大沢温泉・自炊部の売店でパンを買い、歩きながら食べて腹ごしらえをし、渡り温泉に行く。だが、残念……。一軒宿の高級リゾート温泉ホテルの、入浴のみは不可。全8湯の花巻南温泉峡のうち、渡り温泉だけには入れなかった。

 第6湯目の志戸平温泉では、公衆温泉浴場の「ゆうらく湯」(入浴料180円)の湯に入る。花巻南温泉峡には、ほかに共同浴場のたぐいがないこともあって、「ゆうらく湯」は、昼過ぎという時間にもかかわらず、けっこう混んでいた。

 最後の、第7湯目の松倉温泉では、一軒宿「水松園」(入浴料350円)の、壁画がすばらしい大浴場に入った。松倉温泉の湯から上がると、湯疲れと歩き疲れの疲労感が体にきていたが、それ以上に、「やったネー!」といった充実感のほうが大きかった。

 松倉温泉からは、ただひたすらに、花巻駅を目指して歩きつづける。

 花巻の市街地を目前にして、東北自動車道の“花巻南IC”近くを通る。そのときぼくは、「あー、そうだったのか!」と、思わず手を打った。謎が解けたのだ。花巻南温泉峡は、以前は花巻温泉や台温泉とともに、花巻温泉郷といっていた。それがなぜ“花巻南”になったのか、よくわからなかった。そのあたりは、花巻駅からみれば、南ではなく北、ほんとうは“花巻北温泉峡”なのである。

 花巻南温泉峡の名称は、東北道の“花巻南IC”の完成以降のことであろう。“花巻“だと、それよりひとつ北のインターチェンジ(花巻IC)で、花巻温泉や台温泉に通じている。“花巻南温泉峡”は、日本の交通の主役が、鉄道から高速道に変わったことを明確に示しているように思えてならなかった。

 花巻駅到着は午後3時半。新鉛温泉から7湯の温泉に入りながら、7時間半かけて歩いたことになる。15時52分発の盛岡行きに乗り、盛岡で青森行きに乗り換え、18時08分に金田一温泉駅着。駅から徒歩10分の、金田一温泉「ホテル金田一」に泊まった。

東北本線の終着駅、青森に到着

 東北本線の最後の行程は、青森県内の温泉めぐり。7時00分発の一番列車で金田一温泉駅を出発し、岩手県から青森県に入る。青森路の第1湯目は、三戸で下車する古町温泉(入浴料250円)。駅から徒歩30分の一軒宿の温泉だ。時間がないなかでの入浴なので、肌で湯を感じるやいなや、すぐに上がって着替え、帰り道は駅まで小走りに走るのだった。

 第2湯目は八戸を通り過ぎ、三沢で下車する古牧温泉。駅前温泉の「古牧温泉元湯」は、駅から徒歩2分という近さと、300円の入浴料、午前5時から午後11時という営業時間の長さ、さらには気分よく入れる大浴場……と、いくつもの条件を兼ね備えた絶好の立ち寄り湯になっている。

 時間がなくて残念ながらまわれなかったが、ここには“古牧温泉祭魚洞公園”と称する一大温泉観光公園がある。十和田湖をかたどった大浴場や温泉プール、日本庭園、小川原湖民俗博物館、南部曲がり屋などの盛りだくさんの施設が公園の中に点在しているという。また、次の機会だ。そのときには、ゆっくりと“温泉公園”を見てまわろう。

 三沢駅からはもう1湯、駅から徒歩50分、桂温泉の公衆温泉浴場(入浴料250円)の湯にも入り、それを第3湯目にした。広々とした明るい大温泉浴場だ。

 第4湯目は、上北町駅で下車する上北町温泉。駅から徒歩3分の公衆温泉浴場「玉勝温泉」(入浴料250円)の湯に入る。

 東北本線も八戸を過ぎると鈍行列車の本数は極端に少なくなってしまうので、つぎの列車まで、時間はたっぷりとある。サウナにも入り、汗をタラタラ流した。1時間以上も長湯したので、すっかりのぼせてしまい、立ちくらみがするほどだった。

 それでもまだ、次の列車まではかなりの時間がある。そこで、寒風に吹きさらされながら小川原湖までプラプラ歩き、湖畔に立ち、淡水魚漁の盛んな湖を眺めるのだった。

 青森路の温泉めぐりの最後は、浅虫温泉駅で下車する浅虫温泉那須湯本温泉から数えて22湯目の温泉になる。駅から徒歩5分の共同浴場「はだか湯」(入浴料200円)に入る。湯から上がると、小公園になっている源泉を見る。そこには浅虫温泉の語源「麻蒸湯」と書かれ、湯殿権現がまつられていた。“SINCE 1190”とも書かれている。浅虫温泉は、平安時代の末期、円光大師の諸国巡錫の際に発見されたといい伝えられているほど歴史の古い温泉だ。

 青森到着は、18時16分。青森駅というのは、ぼくにとっては一種特別な場所。バイクで「東京→青森」の一気走り(午前0時に東京・日本橋を出発し、寝ないで走りつづけるのだ)を何度かしたことがあるが、そのゴールは青森駅と決まっている。そんなこともあって、青森駅に降り立つと、ジーンとするような胸のしびれを感じてしまう。

 駅近くの郷土料理店「西むら」に入り、まずは青森到着を祝って、一人、ビールで乾杯する。そのあと、イカ刺しとホッケの開きを肴に、津軽の地酒を飲んだ。さらにジャッパ汁(タラ汁)つきのイクラ丼を食べ、北国を自分の舌で実感する。そうすることによって、本州の終着駅に着いたうれしさと、ちょっぴりの寂しさと、これから向かっていく北海道への期待感をより強く感じとるのだった。