「鈍行乗り継ぎ湯けむり紀行」(10)
(月刊『旅』1994年11月号 所収)
箱根の温泉を総ナメだ!
東京駅発の長距離最終“大垣行き”に乗りつづけてきた“鈍行乗り継ぎ”の「分割・日本一周」だが、今回の東海道本線篇では、5時20分発の静岡行き一番列車に乗った。
夜明けの東京を離れていくのも、またいいものだ。すっかり化粧を落とした女性の素顔をみるような、なんともいえないすがすがしさがある。
多摩川の鉄橋を渡って神奈川県に入る。横浜を通り、6時45分、小田原に到着。いったん改札口を出、駅舎と駅前の写真をとる。これは駅に着いたときの、ぼくの儀式のようなものなのである。
と、同時に、間近に迫った箱根の山々に向かって、腹に力を入れて吼えるのだ。
「今、行くゾー、箱根の温泉を総ナメにしてやるからなー!」
小田原駅構内の売店で小鰺の押しずしを買い、箱根登山鉄道の2両編成の電車に乗り込む。冷房ナシ。電車が発車すると、窓をあけ、気持ちよい風を受けながら駅弁を食べる。食べ終わるころには箱根湯本到着。
時間は7時13分。
「さー、これからが、大勝負!」
自分で自分の気持ちを奮い立たせる。
いよいよ、箱根の温泉めぐりの開始だ。
箱根の山々の入口に位置する箱根湯本温泉を第1湯目にし、東海道(国道1号)沿いの箱根の温泉に入りまくりながら、歩いて箱根峠を越えるのだ。泊まりは、三島郊外の竹倉温泉。はたしてうまくいくだろうか……と、自信半分、不安半分の揺れる気持ちの旅立ちになった。
箱根湯本温泉には共同浴場がある。だが、9時オープン。そこで、温泉旅館を当たってみることにする。とはいっても、ここは箱根、うまく入浴させてもらえるだろうか……。
小さめな温泉旅館に狙いをしぼり、何軒もまわる覚悟で歩きはじめたが、なんと最初の「大和館」で入浴OK!
思わず「やったネー」のガッツポーズ。入浴料600円。宿のおかみさんに何度も「ありがとうございます」と頭を下げて浴室へ。無色透明の湯があふれ出ている湯船にそっと身を沈めたが、それでもザーッと音をたてて湯が流れ出る。湯につかりながら、第1湯目の温泉に、それもすんなりと入れたありがたさをかみしめるのだ。
猛暑の中の共同浴場めぐり
箱根湯本温泉から早川の流れに沿って、東海道(国道1号)を歩きはじめると、あっというまに箱根の山中に入っていく。
第2湯目の塔ノ沢温泉へ。徒歩5分。早川の渓流沿いに温泉旅館が10軒ほど建ち並んでいる。こぢんまりとした温泉街だ。
塔ノ沢温泉には、共同浴場の「上湯温泉大衆浴場」(入浴料250円)がある。しかし、オープンは9時から。時間はまだ8時前で、1時間以上もある。
断られてモトモトという気分で、共同浴場の入口の戸をガラガラッとあけると、
「いいですよ、どうぞ、どうぞ。早い人は7時過ぎに来ますよ」
と、番台のお兄さんに笑顔で迎えられ、営業時間前に入浴させてもらうことができた。
なるほど、つぎつぎに常連サンたちがやってきて、湯船の中で和気あいあいと話に花が咲く。この裸同士のつきあいが、共同浴場の大きな魅力だ。
湯の中では、「私はここが痛むのですよ」、「いやー、私は膝の関節をやられましてね」と、2人の常連サンが“痛い痛い自慢”をしている。こういうときはどこかが痛くないと肩身の狭い思いをするが、“痛い痛い自慢”は共同浴場ではよく見られる光景だ。
塔ノ沢温泉から第3湯目の大平台温泉へ。
国道1号の登りは急坂になり、鋭いカーブが連続する。あっというまに暑さが厳しくなり、真夏の太陽がカーッと照りつけてくる。ヒーヒーハーハーいって歩く。汗がドクドク音をたてるかのように吹き出してくる。
「なんでー、ここは箱根なのに……」
と、嘆き節が出るほどの猛暑なのだ。
塔ノ沢温泉から徒歩30分、大平台温泉に着くと、まっ先に店に飛び込み、冷たいコーラとジュースを飲んだ。その店で、共同浴場「姫之湯」(入浴料250円)の入浴券を買い、さっそく湯に入る。
暑い日にさっと熱い湯に入るのは、すごく気分のいいもの。「姫之湯」は木造の新しい建物で、きれいな浴室。円形の湯船が洒落ている。ここでも、地元の常連サンたちが、湯につかりながら世間話を楽しんでいた。
それはまさに社交場といった光景。そうなのだ、共同浴場はわずかなお金で心身ともにリフレッシュできる社交場なのだ。
ぼくは浴室の片すみで、みなさんのそんな世間話をさりげなく聞くのだった。
大平台温泉から第4湯目の宮ノ下温泉までは徒歩15分。ここでも共同浴場の湯に入った。「太閤湯」(入浴料200円)で、入浴券は前の菓子店で買う。「太閤湯」というからには、豊臣秀吉の小田原攻めにまつわる何か伝説が残されているのだろう。
ここの湯は熱湯で、源泉は71度だという。小さな湯船には、水が流しっぱなしになっている。これら塔ノ沢温泉、大平台温泉、宮ノ下温泉の3湯の共同浴場は、心に残るものだった。
ひたすら歩いて箱根峠へ
「太閤湯」の湯から上がると、宮ノ下温泉に隣り合っている堂ヶ島温泉、木賀温泉、底倉温泉の3湯に行く。
まず最初は、堂ヶ島温泉。早川の谷底にケーブルカーで下っていく「対星館」と、ロープウェーで下っていく「大和屋ホテル」の2軒の温泉宿があるのだか、ともに入浴のみは不可だった。残念……。以前は入浴のみもさせてくれたのだけど‥‥。
次は、木賀温泉。温泉旅館「初花」の玄関で、「コンニチハー、ゴメンクダサーイ」を何度も繰り返したが、誰も出てこない。諦め、国家公務員の共済施設「KKR宮ノ下」に行ったが、ここも入浴のみは不可。またしても残念……。
最後は、“太閤の岩風呂”で知られる底倉温泉。豊臣秀吉の小田原攻めのとき、将兵の労をねぎらったという“太閤の岩風呂”だが、今では湯も涸れ、柵で囲われた渓谷の岩風呂跡は史跡になっている。ここでは温泉旅館の「つたや」に行ったが、入浴料2000円と聞いて断念……。結局、3湯、全部に入れなかった。
やはり箱根の温泉は、入浴のみは難しかった。
宮ノ下温泉を出発。第5湯目の小涌谷温泉を目指し、国道1号を歩く。途中から遊歩道に入る。しきりなしに通り過ぎる車の騒音から解放され、ホッと一息つくことができた。
宮ノ下温泉から徒歩15分の小涌谷温泉では、箱根登山鉄道の小涌谷駅に近い温泉旅館「長楽荘」(入浴料500円)の湯に入る。“長楽荘のおかみさん”は、
「ウチの温泉は、水でうめてもいないし、沸かしてもいないし。湧き出たまんまのお湯だから、とっても体にいいのよ」
と、自慢気だ。
小さな湯船だが、その自慢の湯にドボーンとつかる。湯から上がると、座敷に冷たい麦茶が用意されていた。さらにフルーツゼリーまで出してくれた。そんな“長楽荘のおかみさん”のやさしさがうれしかった。
つづいて第6湯目の二ノ平温泉。“源泉浴場”と銘打った「亀の湯」(入浴料500円)の湯に入る。
箱根の6湯に入ったところで、国道1号沿いのレストランで昼食。ハンバーガー定食を食べ、それをパワー源にして、箱根峠を目指して歩いていく。
だが、まさに難行苦行の連続。目の前が真っ白になるくらいの厳しい暑さと、苦しい登り坂。おまけに歩道がないので、疾走する車の恐怖にさらされる。歩いてみると、昔の人たちの峠越えの大変さがよくわかった。
やっとの思いで芦之湯温泉まで来たが、泣く泣くパス。どうしても夕暮れまでに、三島郊外の竹倉温泉に着きたかったからだ。
駒ヶ岳東麓の芦之湯温泉の歴史は古く、箱根湯本、塔ノ沢、宮ノ下、堂ヶ島、木賀、底倉とともに江戸期以来の“箱根七湯”で知られている。結局、この“箱根七湯”のうち、入れたのは3湯だけだった……。
国道1号の最高所、標高874メートル地点を過ぎ、元箱根へと下っていく。芦之湯温泉から引湯している芦ノ湖温泉もパスし、ただひたすらに歩く。芦ノ湖の湖畔に出、旧東海道の杉並木を通り抜け、箱根関所跡からは一気に箱根峠へと登った。標高846メートルの箱根峠にたどり着いたときは、肩で大きく息をするのだった。
箱根峠は、神奈川と静岡の県境の峠。休む間もなく、三島へと足早に下っていく。山地と平地の境目あたりまで下ったところで、国道1号を左折し、竹倉温泉へ。妙法蓮華寺という日蓮宗の大きな寺のある玉沢の集落を通り、新幹線と東海道本線のガードをくぐり抜けると竹倉温泉に到着!
温泉宿が3軒ある田園の湯治場。すでに日は落ち、あたりは薄暗い。箱根湯本温泉から12時間かかっての到着だ。
電話で予約を入れてある「伯日荘」に行く。泊まり客はぼく1人。さあ、温泉だ。すぐさま浴室に行き、赤茶けた色の湯につかる。泉質は炭酸鉄泉。湯から上がり、体重を計ると、65キロ。まる1日、猛烈な汗をかいて歩いたので、いっぺんに3キロも体重が落ちてしまった。
翌朝は4時に宿を出発。5キロほどの道のりを歩き、5時20分、三島駅に到着。東海道本線の鈍行列車だと30分ほどの小田原―三島間を22時間30分かけて歩いたことになる。わずか1日で、足の裏はマメだらけになってしまったのだ。
身延線は温泉の宝庫
三島発5時38分の東海道本線下りの一番列車、浜松行きに乗る。右手の車窓には雪のない夏の富士山。富士駅で身延線に乗り換える。甲府行きの3両編成の電車。富士宮を通り、山梨県に入った最初の駅、十島で下車。富士川の両側には山々が迫っている。
十島駅から徒歩15分、富士川を渡り、万沢温泉に着く。一軒宿の「別草旅館」で入浴を頼むと、
「ほんとうは10時からなのだけど、来ちゃったんじゃ、しょうがないわねー」
と、若奥さんの明るい声。入浴料500円。
富士川沿いに走る身延線沿線は、あまり知られていないが温泉の宝庫で、温泉があちこちにある。まずは、その第1湯目の万沢温泉の湯に入ることができた。すでに泊まり客はチェックアウトしたようで、入浴客はぼく一人。明るくてきれいな浴室の湯船に、ゆったりとした気分でつかった。
十島駅に戻る。次の列車まで、1時間40分の待ち時間があるので、もう1湯、佐野川温泉までいく。4キロほどあるので、ギラギラ照りつける炎天下を走った。山間の一軒宿(入浴料550円)。浴室には熱い湯と冷泉(源泉)の2つの湯船。混浴の露天風呂もある。それらの湯にさっと入り、また、十島駅まで走っていくのだ。
この炎天下、あまりの辛さに、
「いったい、自分は何をやっているんだろう‥‥」
と、情けない気分にも襲われるのだった。
次は、内船駅で下車する内船温泉。徒歩15分の、山間のひなびた温泉。だが、「寿楽荘」「喜遊荘」の、2軒の温泉宿はともに休み……。
この“鈍行乗り継ぎ”の温泉めぐりでは、行く先の温泉に入れるかどうか、事前には一切調べない。というのは、もし入れないとわかっていたら、内船駅で降りるようなこともないだろうし、胸をときめかせて内船温泉まで歩いていくこともないだろう。
もちろん、1湯でも多くの温泉に入るのは大事だ。しかし温泉という切り口で、見知らぬ駅で降り、見知らぬ町や村を歩くことのほうがもっと大事なことなのである。
それともうひとつ、旅のおもしろさというのは、“一寸先が闇”というか、何が起きるのかわからないというところにあるので、できるだけ先は見えないほうがいいのだ。
内船駅に戻ると、“駅前食堂”に入る。テレビの高校野球を見ながら、たっぷりと時間をかけ、いつものようなラーメンライスの昼食を食べる。
そして、身延へ。身延到着は12時11分。駅舎を出ると、強烈な暑さだ。
日蓮宗の本山、久遠寺で知られる身延だが、その門前には一軒宿の温泉、身延温泉がある。駅から歩いて1時間、久遠寺の総門にたどり着いたときには、さきほどの佐野川温泉への往復の疲れも重なって、もうフラフラ。
すさまじい暑さで、日射病の一歩手前状態だ。
そんな体にムチ打って、「身延温泉ホテル」に行く。入浴OK。入浴料は500円。不思議なもので、大きな湯船に身をひたしていると、また元気が出てくる。
温泉で身を清めたところで、身延山の参拝だ。門前町を歩き、仁王像をまつる山門をくぐり抜ける。杉木立の参道を歩き、全部で287段あるという急な石段を登る。白装束に身をつつんだ信者たちの“南無妙法蓮華経”の声が、山々にこだまする。やっとの思いで石段を登りつめ、本堂で手を合わせた。
身延山の帰り道も、すさまじい暑さに変わりはなく、まさに焦熱地獄。身延駅に戻っても、待合室でしばらくは動けない。鉛の重りを引きずるようにして、15時42分発の電車に乗り込むのだった。
身延の次は塩之沢。駅前に塩之沢温泉があるが、なにしろ本数の少ない身延線なので、残念ながらパス。塩之沢の次は波高島。駅の近くに湯沢温泉があるが、残念の連チャンでまたしてもパス……。そして、次の下部温泉駅で下車する。
“信玄の隠し湯”で知られる下部温泉は、身延線沿線のなかでは、唯一の大温泉地。30軒以上の温泉ホテル・旅館が建ち並んでいる。
ここではまず、公衆温泉浴場の「下部温泉会館」(入浴料250円)の湯に入る。そのあと、前から一度は入ってみたいと思っていた「古湯坊源泉館」の岩風呂に行く。だが、入浴のみは、8時から12時までだった。
今晩の宿泊は、下部温泉の次、甲斐常葉駅で下車する常葉温泉の「光泉閣」。駅から徒歩5分。田園のなかの一軒宿で、身延線沿線の第5湯目。昨晩の竹倉温泉と同じように、泊まり客はぼく1人だった。硫化水素泉で、湯はサラサラしている。そのなかに身をひたしたときの、シュワーッとした爽快感がたまらない。温い湯と冷泉の2つの湯船があるが、この猛暑なので、冷泉が気持ちよかった。
湯から上がると、部屋の窓を開けっ放しにし、夕風に吹かれながらビールを飲む。
クワーッ、たまらない!
腹わたにしみわたるようだ。
暮れゆく山あいの里の風景をおかずにし、夕食を食べる。なんとも心豊かな食事だ。“光泉閣のおかみさん”は食後のデザートにと、庭の棚で摘み取ったばかりのブドウを持ってきてくれた。
翌朝は一番列車に乗るため、5時半の起床。仕度を整え出発しようとすると、まだ6時前だというのに“光泉閣のおかみさん”はナメコ汁をつくってくれた。自家製味噌の味の濃いヤツだ。
これがうまい!
そのあとで、お茶漬けを1杯、もらう。おかみさん、ありがとう。
甲斐常葉発6時28分の富士経由沼津行きに乗る。一番列車なのに、車内はけっこう混んでいる。若者のグループや親子連れの海水浴客が目立って多い。
甲州人の海へのあこがれがつたわってくるような車内の熱い空気だった。
こうして身延線の旅を終え、7時58分、富士に到着。さー、これからは、東海道本線沿線の温泉めぐりだ。
「カソリさんですよねー」
富士発8時11分の豊橋行きに乗る。
さすがに東海道本線だけあって、ほぼ満員の乗客。清水、静岡を通り、8時58分着の焼津で下車する。焼津といえば八戸や銚子と並ぶ太平洋岸屈指の大漁港だが、駅前には“やいづ黒潮温泉”のモニュメントが立っていて、“焼津温泉”から“やいづ黒潮温泉”と名前を変えた温泉を売りものにしている。
マグロが水揚げされている遠洋漁業の基地、焼津漁港をひと目みたあと、漁港近くの、国道150号に面した市営「サンライフ焼津」に行く。駅から徒歩10分。アスレチックジムやプールとともに、公衆温泉浴場(入浴料400円)がある。
朝9時のオープンだが、すでに入浴客は多く、ワサワサといった感じで込みあっている。食塩泉で、無色透明の湯には、若干の塩味がある。露天風呂もある。「サンライフ焼津」は、焼津市民の絶好のオアシスになっている。
焼津発10時04分の豊橋行きに乗る。
この列車もほぼ満員。東海道本線の“鈍行乗り継ぎ”は、列車の本数が多いのできわめて楽だ。10時11分着の藤枝で下車し、駅から3キロほどの志太温泉を目指す。
駅前の大通りを国道1号に向かって歩いているときのことだ。3、4人の女子高生にすれ違ったが、彼女らにジッとみつめられた。彼女ら、ニコッと笑顔を見せると、エイエイという感じでVサインを送ってくるのだ。
「おいおいキミたち、オジサンをからかうんじゃないよ」
という言葉が出かかった反面、内心では、彼女らのかわいらしい仕草にうれしくなってしまう。そんなことがって、志太温泉に向かう足取りはいっぺんに軽くなった。
国道1号の青木交差点を横切り、旧東海道の松並木の名残の松を見ながら、炎天下、大汗をかいて歩く。50分かかって温泉旅館が2軒ある志太温泉に着く。
「旅館元湯」(入浴料1000円)の湯に入れた。食塩泉。やいづ黒潮温泉よりも、はるかに塩分の濃い湯。木の香が漂うヒノキの湯船につかり、帰り道は、ゆったりとした気分で歩いた。
駅近くのラーメン屋で、いつものラーメンライスの昼食を食べ、藤枝発12時41分の浜松行きに乗る。
またしても混んでいる。
今までの“鈍行乗り継ぎ”では、ガラガラの列車に乗ることが多かったので、
「やっぱり、東海道線は違うなあー」
と、感心してしまうのだ。
13時08分着の掛川で下車。法泉寺温泉に行くつもりにしていた。ところが駅舎を一歩出、ま昼の太陽にカーッと照りつけられると、急に弱気になってしまう。
法泉寺温泉までは、6キロほどの距離があるのだ。
「あー、往復で12キロか……」
掛川駅で降りてはみたものの、どうしても足が前に出ない。1湯でも多くの温泉に入りたいというぼくの気持ちとは裏腹に、体が拒絶してしまうのだ。さんざん迷ったあげくについに法泉寺温泉を断念。この猛暑に打ちのめされた格好だ。
「法泉寺温泉まで歩いていっても、温泉に入れるのかどうか、わからないことだし……」
などと、自分で自分に言い訳をし、掛川発13時18分の浜松行きに乗るのだった。
浜松で大垣行きに乗り換え、13時56分、弁天島着。浜名湖の太平洋への出口に近い弁天島の海水浴場は、大勢の海水浴客でにぎわっていた。この弁天島駅前に、弁天島温泉がある。何軒かの温泉ホテルが建ち並ぶ“駅前温泉”だ。
ところが「開春楼」「丸文」「遊船家」「白砂亭」と聞いてまわったが、どこも入浴のみは不可。せっかくの“駅前温泉”なのに……、もう、ガックリだ。温泉のかわりに、水着に着替え、駅前海水浴場でひと泳ぎした。
弁天島発14時56分の美濃赤坂行きに乗り、静岡県から愛知県に入る。
三谷温泉へ。徒歩20分。高台にある温泉で、三河湾を一望する。ここでも何軒かの温泉宿で入浴を頼んでみたが、弁天島温泉と同じで、入浴のみは不可。すごすごと肩を落として三河三谷駅に戻っていく。
その途中で、1台のトラックが止まった。
「あのー、カソリさん? カソリさんですよねー、やっぱり!」
と、地元、蒲郡の坂本茂雄さん。
坂本さんは、ふだんはオフロードバイクのヤマハTT250Rに乗っている。
「暑いだけで終わっちゃう……と嘆いていた今年の夏だけど、こうしてカソリさんに会えて、いい思い出ができましたよ」
といって喜んでくれた坂本さんのおかげで、しょぼくれた気分も吹き飛んでしまった。
旧中村遊廓跡の中京温泉
三河三谷発16時31分の快速米原行きに乗り、17時19分、今晩の宿泊地の名古屋に着く。
あまり知られていないが、名古屋にも温泉がある。太閤口に出、駅前の道を20分ほど一直線に歩いたところに、中京温泉がある。
一軒宿の「大観荘」に泊まった。このあたりは旧中村遊廓跡。「大観荘」は大正12年に建てられたということで、中村遊廓の時代をそのまま今にとどめている。建物全体にしみついた色香を感じ、何とはなしになまめかしい。
温泉は昭和32年に掘り当てたということで、さっそく湯に入り、塩が吹き出すほど汗まみれになった体を洗う。湯から上がると、部屋にはたいそうなご馳走の夕食が用意されていた。
冷たいビールを飲み、夕食を食べ終わったところで、町に出、名古屋市内にあるという温泉公衆浴場に行くつもりにしていた。
ところが一日、炎天下を歩いた疲れは大きく、「ちょっとだけ‥‥」と横になったら、そのまま寝込んでしまった。気がつくと、夜が明けていた。
あわてて飛び起き、名古屋駅へと急ぎ、からくも名古屋発5時53分の大垣行きに乗ることができた。車内はガラガラ。ホームの自販機で買った冷たいカンコーヒーを飲む。あやうく、この鈍行下りの一番列車に乗り遅れるところだったので、ホッとし、救われるような思いだった。
大垣から米原へ。箱根湯本温泉から数えて15湯目の中京温泉を最後に、東海道本線の温泉めぐりを終え、米原からは北陸本線の列車に乗り込む。ここから北陸本線の温泉めぐりがはじまるのだ。