賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

「鈍行乗り継ぎ湯けむり紀行」(4)

(月刊『旅』1994年5月号 所収)

「分割・日本一周」の旅に出発だ!

 1994年2月5日土曜日は、記念すべき日。“鈍行乗り継ぎ”で日本中をまわりはじめる第1日目になるからだ。「ヤルゾー!」とぼくは意気込んで東京駅にやってきた。これから1年間、鈍行列車を乗り継いで日本中を駆けまわり、日本中の温泉に入りまくろうと思うのだ。

 1989年には、50ccバイクを走らせて、全行程2万キロの日本一周を成しとげた(JTB刊『50ccバイク日本一周2万キロ』をお読み下さい)。

 それに対して今回は、鈍行列車を乗り継いでの、「分割・日本一周」と、自分ではそう意味づけている。何度かに分けて、九州から北海道まで鈍行列車に乗り継ぎながら、日本を一周をしようという計画なのである。

“鈍行乗り継ぎ”の「日本一周」の第1弾として、日豊本線鹿児島本線を乗り継いで「九州一周」をしようと、九州ワイド周遊券(東京発35500円)を持って“鈍行乗り継ぎ”の定番列車、東京発23時40分の東海道本線の大垣行きに乗った。

 大垣到着は6時56分。接続している加古川行きに乗り米原で下車。そこでトイレ、洗面、朝食をすませ、姫路行きの快速に乗り換える。京都、大阪を過ぎ、神戸からは山陽本線になるが、さらに姫路で乗り換え、三原で乗り換え、岩国で乗り換え、大垣行きから数えて6本目の列車で19時27分下関に到着した。

 本州最西端駅の下関駅から、九州鉄道網起点駅の門司港駅には、どうしても関門海峡を渡って行きたかった。そこで下関駅で降り、夜道を20分ほど歩き、唐戸から20時00分発の関門連絡船に乗った。

 関門海峡の向こうには、黒々とした九州の山々が横たわっている。その麓には、海峡を縁どって門司の町灯りが帯のように延びている。海峡を行き来する船の灯り。海峡をまたぐ関門橋のイルミネーション。時間にすればわずか5分の連絡船の旅だが、海峡の夜景を十分に楽しんだ。

 関門連絡船で門司港に着くと、旅心を刺激されるとでもいうのか、いかにも九州に上陸したという気分になってくる。

 門司港駅の駅前旅館「群芳閣」に泊まる。

 宿の前には「日本のバナナの叩き売り発祥の地」碑。それは、この地と海の向こうの世界との結びつきの強さをうかがわせるものだった。

 一晩の宿を確保すると、さっそく夜の町を歩く。宿のおかみさんが「ぜひ歩いてみたらいいわ」と教えてくれたはね橋を歩いて渡る。船溜りから海峡に通じる水路にかかるはね橋は洒落ている。恋人たちのデートスポットのようで、熱々のカップルを何組も見る。

 創業明治42年と書かれた「平民食堂」という、ちょっとうす汚れた食堂に入り、夕食にする。ビールを飲みながら“洋食”のハンバーガー定食を食べる。九州に来る前に歩いたマレーシア・ペナン島のチャイナタウンの食堂を思わせる雰囲気がそこにはあった。九州第一歩の門司港で、あらためて海の向こうの世界との結びつきを強く感じ、ぼくの夢は大陸へと飛んでいくのだった。

別府八湯”の温泉入りまくり

 翌朝は5時起床。“鈍行乗り継ぎ”の原則のひとつは、毎朝、一番列車に乗ることである。一番列車に乗ると、1日を存分に使うことができ、すごく得した気になる。これほどいい旅の方法はないと、ぼくは自画自賛しているのだ。

 門司港駅に行く。大正3年に完成したという門司港駅の駅舎は、かつてのターミナル駅の風格を今に伝えている。それをよけいに盛り上げるかのように、駅舎内に入ると「切符賣場」とか「自動券賣機」「待合所」といったひと時代前の表示が目に入る。

 改札口を通り抜けたところに、九州鉄道網の起点を示す「0哩標」が立っている。明治24年4月1日、この門司港駅(当時の門司駅)から玉名駅(当時の高瀬駅)までの間が開通したときに、それを記念して立てられた碑だという。かつての関門連絡船の通路跡も残されている門司港駅には、九州鉄道史の歴史の重さが漂っていた。

 5時31分発大分行きの4両編成の列車に乗り込む。小倉で鹿児島本線と分岐し、日豊本線に入っていく。行橋、椎田とまだ暗い。大分県に入り、中津まで来ると、うっすらと夜が明ける。糸のように細い月が、明けゆく空に残っていた。

 宇佐、日出と通り、7時52分亀川着。別府の2つ手前の駅。ここで下車し、いよいよ温泉入りまくりの開始だ。“別府八湯”と呼ばれる別府温泉郷を総ナメにするつもりなのだ。亀川駅前に立ち、大きく深呼吸し、まずは第1湯目の亀川温泉に行く。“鈍行乗り継ぎ”で入るのには絶好の駅前温泉である。

 公民館と一緒になっている共同浴場「浜田温泉」(入浴料50円)の湯に入る。趣きのある木造の建物。浴場には、熱めの湯と温めの湯の2つの湯船。2つの湯船に交互に入り、ほかに入浴客もいないので、湯船の中ではおもいっきり体を伸ばした。“温泉天国日本”に自分が生まれた喜びを実感する瞬間だ。

 亀川温泉からは、別府湾のすぐそばまで迫る山並みに入っていき、柴石温泉、鉄輪温泉、明礬温泉へと歩いていく。“鈍行列車+徒歩”の旅の仕方も、“鈍行乗り継ぎ”の原則のひとつなのである。パン屋でパンを買って歩きながら食べ、それを朝食にする。

 亀川温泉から鉄輪温泉への道筋には、点々と“別府八大地獄”があるので、それら地獄にもひとつずつ立ち寄っていく。「竜巻地獄」、「血の池地獄」を見、柴石温泉に着く。無料の共同浴場。「クワーッ」と思わず声が出てしまうほどの熱い湯。頭の芯がジーンとしてしまう。湯の中で動けずジーッとしてしまう柴石温泉だ。

 第3湯目の鉄輪温泉の高台に立つと、別府湾を一望のもとに見下ろし、きれいな曲線を描く湾の向こうに連なる国東半島の山々を眺める。温泉街のあちらこちらからは、モウモウという感じで湯けむりが立ち昇っている。“別府八湯”のなかでは、一番、“湯の町”を感じさせる光景だ。

 ここでは無料の共同浴場「熱の湯」に入ったが、もう1湯「渋の湯」が無料。そのほか「元湯」「筋湯」など、全部で11湯もの共同浴場がある。今度、別府に来るときには、鉄輪温泉に泊まり、これら11湯の共同浴場には、ぜひとも入ろうと、そう心に決めるのだった。

“別府八大地獄”の残りの6地獄は鉄輪温泉の周辺にある。それら6地獄を「白池地獄」「金竜地獄」「鬼山地獄」「かまど地獄」「山地獄」「海地獄」という順に見ていった。

 とくにすごいのは「金竜地獄」。青っぽい透明感のあふれる熱湯が湧き出ているのだが、その湧出量は1日に90万リッターにも達し、鉄輪温泉の11の共同浴場に湯を供給しているという。とてつもない大自然のエネルギー。

「鬼山地獄」も、グラグラ煮立った熱湯が、ザボーン、ザボーンとまるで荒波が海岸に押し寄せるような音をたてて噴き出していた。“別府八大地獄”ほどすごい大自然のショーは、日本中、どこを探しても見られないし、日本どころか、世界でもほかに例を見ないほどのものである。

 鉄輪温泉からほんとうは、明礬温泉まで歩いていくつもりにしていたが、距離は3キロ、往復で6キロにもなる。で、残念ながらパス。“別府八湯”の総ナメはこの時点でなくなったが、明礬温泉はまた別な機会にしよう…と気持を切り換え、来た道を亀川駅へと早足に、いや、走るようにして駆け下っていった。

 ところで明礬温泉だが、このときに入れなかったのはけっこう悔しいことで、その後、バイクでやって来たときには、もう一度“別府八湯”めぐりをし、しっかりと明礬温泉にも入った。

別府はさすがに日本一の大温泉地帯

 亀川発12時20分の列車に乗って、12時26分別府着。別府温泉の駅前温泉旅館「清水荘」に宿をとったあと、浜脇温泉、観海寺温泉、堀田温泉という順番で“別府八湯”をめぐることにする。

 東別府駅に近い海辺の温泉、浜脇温泉では、市街地再開発ですっかり新しくなった共同浴場「浜脇温泉」(入浴料60円)の湯に入る。60円という入浴料の安さのみならず、入浴時間が午前6時30分から翌日の午前1時までと、きわめて入りやすい。新しくて、きれいで、安くて、入りやすいということで、昼下がりの時間帯だったが、入浴客がけっこう多かった。熱めの湯から上がり、別府駅に向かってプラプラ歩いていった。

 別府駅から山手に向かって30分ほど歩いた観海寺温泉では共同浴場「復興泉」(入浴料100円)の湯に入る。温めの湯で、長湯できる。ところでこの「復興泉」は下の店で入浴券を買って入るのだが、入口に「無料湯ではありません」の注意書きのあるのを見ると、入浴券を買わない入浴客が多いということなのだろう。

 観海寺温泉からさらに30分ほど歩くと堀田温泉。ここには「堀田東温泉」と「堀田西温泉」2湯の共同浴場があるが、ともに外来客の入浴は禁止されている。で、「夢幻の里」に行く。別府の市街地のにぎわいがうそのような深山幽谷の地の温泉。ここでは1000円払って1時間貸し切りの、渓流のわきにある露天風呂に入った。若いカップルが何組か来ていたが、この時ばかりはぼくも連れが欲しくなった…。

 日が暮れたころに別府温泉の「清水荘」に戻る。さっそく宿の湯に入り、さんざん歩きまわった疲れをとる。30年来の、この宿の常連だという人と一緒の湯になった。

「ここはね、源泉のまんまの湯だから、とっても体にいいんだ。水でうめてもいないし、熱を加えてもいない。この温泉で流す汗が体をきれいにしてくれる。汗と一緒に、体に溜った毒素が抜け出ていくんだ。湯につかって汗をタラタラ流したら、こうやって湯を飲むことだよ」といって、“清水荘の常連サン”はのどをゴクゴク鳴らし、ヒシャク一杯の飲湯用の湯を飲み干した。

「これがまたいいんだ! 胃腸は丈夫になるし、絶対にガンにならない」

“清水荘の常連サン”は“絶対”を強調してそういったが、温泉にはガン予防の効果もあるらしい。

「清水荘」の夕食には、1泊2食6000円という宿泊料金の安さにもかかわらず、名物料理の城下カレイの刺身が出た。フグの刺し身風に薄く切ってあるが、淡白な味わいだ。城下カレイの本場は別府の隣町の日出。別府湾に面した日出藩の暘谷城沖の海底からは、大量の真水が湧き出しているとのことだが、そこに生息するマコガレイが城下カレイと呼ばれている。この湧き水のおかげで、泥くささがまったくなく、城下カレイの大きな特徴になっている、すがすがしい味わいが生み出されている。

 名物料理つきの夕食をすませたところで、別府駅周辺の共同浴場めぐりを開始する。

 第1湯目は「清水荘」に隣り合った「駅前温泉」。入浴料100円の並湯と入浴料300円の高等湯があって、何がどう違うのか好奇心にかられ、両方とも入ってみた。すると泉質は同じなのだが、高等湯のほうにはシャワーと噴射湯がついている。なるほど高等だ。だが、毎日入りに来るような人にとっては、入浴料の200円の差は大きく、並み湯は混んでいたが、高等湯はすいていた。列車の普通車とグリーン車の違いのようなものか。

 第2湯目は「海門寺温泉」(入浴料60円)。

 第3湯目は「春日温泉」(入浴料50円)。路地に面したドアをあけるとすぐに湯船なのだが、なんと女湯のドアは半開きで、中がまる見え。一瞬、ドキッとしたが、髪を洗っている2人の若い女性の裸身をすばやく目の底に焼きつけ、そして男湯に入る。男湯と女湯の境は簡単なもの。2人の女性は仲のよい友達同士で、彼女らの楽しそうな会話や湯に入ったり出たりする音がつつ抜けで聞こえてくる。別府温泉ではわずか50円でこういういい思いができるのだ。

 第4湯目は「梅園温泉」(入浴料50円)。

 第5湯目は別府温泉でも一番由緒のある「竹瓦温泉」(入浴料60円)。共同浴場には見えない豪壮な建物。「え、ほんとうに60円で入れるのかなあ」と、一瞬、入るのに躊躇してしまったほど。「竹瓦温泉」は外観だけではなく、中身の浴室も湯船も立派なものだ。さらにここには砂湯(入浴料610円)もあるが、残念ながら、その時間は終わっていた。「竹瓦温泉」の熱めの湯にくりかえして何度か入り、ゆでダコのように火照った体で「清水荘」に戻り、最後に宿の湯に入り、別府温泉郷の温泉めぐりのしめくくりとした。

 別府温泉郷は日本一の大温泉地帯。その湧出量は、毎分9万リッター。1日の湧出量といえば、1億2960リッターにもなる。そのうちの1割以上が全く利用されていないというのだから…。湯の不足に悩む温泉地にとっては、なんともうらやましいかぎりの話。日本一の別府温泉郷なだけに、共同浴場の数だけでも175湯と桁外れに多い。とてもではないが、ここでは“全湯制覇”というわけにはいかない。だが、そうとはわかっていても、いつの日か、1日で別府温泉共同浴場に何湯入れるか、ぜひとも挑戦してみたいと思うのだ。

吉都線の2つの駅前温泉

 別府発6時11分の南宮崎行きに乗る。ホームの自販機で買ったコーンポタージュを車内で飲み、それを朝食にする。別府の3つ先の大分駅で下車し、大分市内温泉の湯に入っていきたかったが、断念…。

 なぜかといえば、大分駅で降りてしまうと、次の宮崎まで行ける鈍行列車といえば7時間後。日豊本線の鈍行列車で大分県から宮崎県に入るのは、きわめて難しい。日豊本線鹿児島本線に比べるとはるかにローカル線で、ちょうど、中国地方の山陽本線に対する山陰本線のようなものだ。

 宮崎到着は11時19分。ここで乗り換え、椎葺弁当を買い、11時56分発西鹿児島行きの快速「錦江5号」に乗る。

 都城到着は13時00分。都城と鹿児島県の隼人の間は、吉都線肥薩線経由で行くことにする。この間の日豊本線沿いには、温泉がまったくないからだ。13時23分発吉都線吉松行きの2両編成の気動車に乗る。ワンマンカーで、車内は学校帰りの女子高校生たちでほぼ座席は埋まっていた。

 列車は都城盆地から小林盆地に入っていく。スーッとゆるやかな曲線を描いてそそり立つ霧島連峰の峰々を左手の車窓に見る。西小林駅を過ぎると、なだらかな登り坂。名無しの峠を越え、小林盆地から加久藤盆地に入っていく。都城盆地、小林盆地は、宮崎で日向灘に流れ出る大淀川流域の盆地だが、加久藤盆地は鹿児島の川内で東シナ海に流れ出る川内川上流域の盆地になる。このゆるやかな名無し峠が、2つの世界に分けている。

 14時53分京町温泉駅着。ここで下車。小林盆地では薄日が射していたが、加久藤盆地は雨。霧島連峰の最高峰、韓国岳(1700m)は雨雲の中だった。まずは、駅前共同浴場「栗下温泉」(入浴料260円)の湯に入る。正真正銘の駅前温泉で、駅からは徒歩0分。駅舎の真ん前にある。

 湯から上がると、雨に降られながら吉田温泉に向かって歩く。学校帰りの小学生たちが「こんにちは」「さようなら」と必ず声を掛けてくれる。前方に連なる矢立高原の山並みに向かって、片道3キロの道のりを歩き、吉田温泉の共同浴場「亀の湯温泉」(入浴料260円)の湯に入った。吉田温泉は山あいのひなびた温泉地で、ここには湯治専門の宿もある。

 吉田温泉からは同じ道を歩き、京町温泉に戻った。17時40分発の列車までは、まだ時間があったので、「鶴の湯」(入浴料260円)、「ひさご湯」(入浴料260円)の2湯の共同浴場にも入った。「鶴の湯」には、地元の各地区ごとのみなさんの入浴札がかかっていたが、それが目についた。「ひさご湯」はその名のとおり、ヒョウタン形をした、タイル張りのきれいな湯船だ。京町温泉は駅前に「真砂旅館」「えびの荘」の2軒の温泉旅館があるし、駅前共同浴場もあるので、“鈍行乗り継ぎ”の立寄りの湯にも、宿泊の湯にも絶好だ。

 京町温泉駅前から『全国温泉宿泊情報』(JTB刊)を見ながら、吉都線の終点吉松駅に近い吉松温泉の「般若寺温泉館」に電話を入れる。だが、満員だとのことで宿泊を断られた。次に、同じ吉松温泉の「鶴丸温泉」を聞いてみる。宿泊OK。一晩の宿が確保できるとホッとする。

 さて、どんな温泉宿なのかな…‥と期待をいだいて京町温泉駅で列車に乗り、県境を越えて鹿児島県に入る。次の鶴丸駅で下車し、徒歩ゼロ分の駅前温泉旅館「鶴丸温泉」に行く。公衆温泉浴場と一緒になっている。夕暮れどきで、混んでいる。大浴場を独り占めにするのもいいが、大勢の人たちと一緒に入る湯というのも、これまたいいものだ。チョコレート色をした湯の色。湯から上がっても、体はいつまでもポカポカしている。

 湯上りのビールを飲みながら、刺身、酢のもの、和えもの、煮もの、肉料理、鍋料理…と、夕食に箸をつけていく時の幸福感といったらなかった。

塩浸温泉で秘湯、大発見!

 翌朝は、鶴丸から吉松までの1駅間を歩き、吉松発5時56分喜入行きの肥薩線一番列車に乗るつもりでいた。すると宿のおかみさんは、「吉松まで歩いたら、50分はかかりますよ」といって、車で送ってくれたのだ。

「隣り町の菱刈鉱山で金が採れるようになってからというもの、鉱山の見学に来られる外国人のお客さまが、よくウチにもお泊りになるのですよ。先日はドイツからのお客さまがグループで泊まられ、吉松駅までお送りしたら、予定していた肥薩線の列車が出たあとで、みなさんを人吉までお送りしました」

 と、日独親善に大きな貢献をはたした“鶴丸温泉のおかみさん”なのだ。

 肥薩線の一番列車は吉松始発で、隼人、西鹿児島経由の喜入行き。4両の気動車はガラガラのまま発車。6時23分到着の霧島西口で下車。ここから肥薩線の終点であり日豊本線への乗り換え駅でもある隼人まで歩くのだ。地図を見ると約20キロ。歩きながら、その間にある全部の温泉に入ろうと思う。

 まだ暗い道を歩きはじめる。ニワトリが鳴きはじめる。「コケコッコー」ではなく、ケの抜けた「ココッコー」と鳴いている。30分ほど歩き牧園町の中心に出る。そこから国道223号を南下していく。

 第1湯目は平川温泉。公衆温泉浴場(入浴料100円)に行くと、湯船に湯を入れはじめたばかり。「それでもかまわなかったらどうぞ」ということで入ったのだが、これがよかった! 湯船の中で何杯も湯をかぶり、湯船の中にある程度、湯が溜まってくると寝湯をする。かぶり湯&寝湯を楽しむ平川温泉だった。

 第2湯目は塩浸温泉。ここには「坂本龍馬・お龍新婚湯治」の碑が立っている。碑いわく、日本の新婚旅行は、ここからはじまったのだという。公衆温泉浴場の「鶴の湯」(入浴料150円)に行ったら、入浴時間は10時から17時でまだ閉っていた。10時まで待てないので、諦め、国道をふたたび歩きはじめる。200メートルほど歩いただろうか、ストンと落ちた国道左側の崖の下からモウモウと湯けむりが立ち昇っている。

「おー、ナンダ、ナンダ、これは!?」

 猛烈な興味をいだいたぼくは、命がけ(ちょっとオーバーかな)で垂直の崖を下り、竹ヤブをくぐり抜け、川岸に降りる。すると、テラス状になった岩棚の割れ目から、なんと、高温の湯がとめどもなく噴き上げているではないか!! 

 感動の光景に、しばらくみとれる。噴き出した湯は、そのまま川の中に流れ落ちていく。湯が川に流れ込むあたりでちょうどいい湯温。裸になって川の湯につかり、そこをぼくの塩浸温泉とした。すぐ近くの国道沿いの食堂で朝食にしたが、食堂のオバチャンも川岸の湯のことは知らなかった。北に林田温泉や丸尾温泉などの霧島温泉郷という華々しい大温泉郷のある牧園町にとっては、このくらいの湯では、誰も見向きもしないのだろう。東京近辺でこのような湯が湧き出したら、それこそ、大変な騒ぎになるのだが…。

 第3湯目の日ノ出温泉は「きのこの里」にある一軒宿。入浴料100円を払って、草色っぽい元湯と黒っぽい新湯の、隣り合った2つの湯船に交互に入った。

 第4湯目の新川温泉では、温泉旅館「せせらぎ荘」に行ったが、玄関には“本日休業”の看板。無理を承知で、

「すいませーん、なんとか、入浴させてもらえないでしょうか」

 と頼むと、露天風呂に、それもタダで入れさせてもらった。霧島連峰韓国岳を水源として流れてくる天降川の渓流を目の前にながめる湯。迫力満点なのだ。

 第5湯目は安楽温泉。「佐藤旅館」(入浴料200円)の湯に入る。湯量豊富。大浴場には打たせ湯、寝湯もある。平川温泉から安楽温泉までが、牧園町になる。それにしても大変な“温泉天国”の牧園町だ。

 第6湯目は妙見温泉。ここから隼人町になる。「きらく湯」(入浴料200円)に入ったが、ここも湯量の豊富な温泉で、湯がふんだんに流れ出ている。豪快な打たせ湯にも打たれた。

 第7湯目は日当山温泉。“日当山温泉700年祭”をやっているくらいだから、相当に歴史の古い温泉だ。ここでは、公衆温泉浴場「清姫温泉」(入浴料280円)の湯に入った。大勢の人たちが車でやってくる田園の中の温泉。食堂もあり、いつものラーメン・ライスとはちょっと違って、ウドン・ライスにした。

 日当山温泉を最後に隼人の町並みに入り、大隅国の一宮の鹿児島神宮に参拝し、14時40分、隼人の駅に着く。列車だと30分の「霧島西口→隼人」間を8時間以上かけて歩いた。隼人発15時11分の西鹿児島行きに乗る。左手の車窓いっぱいに広がる錦江湾と、その向こうの噴煙を上げる桜島という鹿児島ならではの風景を楽しみながら、15時49分、日豊本線の終着駅、西鹿児島駅に到着した。九州一周の前半戦を終えたのだ。

◇◇◇

第1章で入った温泉

1、亀川温泉(大分県

2、柴石温泉(大分県

3、鉄輪温泉(大分県

4、浜脇温泉(大分県

5、観海寺温泉(大分県

6、堀田温泉(大分県

7、別府温泉大分県

8、京町温泉(宮崎県)

9、吉田温泉(宮崎県)

10、吉松温泉(鹿児島県)

11、平川温泉(鹿児島県)

12、塩浸温泉(鹿児島県)

13、日之出温泉(鹿児島県)

14、山之湯温泉(鹿児島県)

15、安楽温泉(鹿児島県)

16、妙見温泉(鹿児島県)

17、日当山温泉(鹿児島県)