「2004・旧満州走破行」(14)
9月26日(日)曇のち晴 黒河 第6日目
黒河の食堂で昼食を食べ終わると、町中のスズキの販売店に行く。
「熱烈歓迎 日本著名旅行家 賀曽利先生」の横断幕にはちょっと照れてしまう。
スズキ販売店での歓迎セレモニーを終えると、黒河に近いアイグンへ。
中露国境を流れる黒龍江右岸の町だ。古くからの河川交通の要衝で、アイグンは黒龍江を通して各地とつながっていた。
黒龍江は全長4353キロの大河。黒龍江は中国名で、アムール川のことである。シルカ川とアルグニ川が合流してアムール川になり、中露国境を流れ、最後はオホーツク海に流れ出る。
17世紀後半、清朝はロシアの侵入を防ぐため、アイグンに築城。対ロシア交渉の拠点になった。1858年にはロシアの東シベリア総督ムラビェフと国境画定の条約を結び、黒龍江の右岸が中国領、左岸がロシア領になった。
義和団事件(1899年~1901年)の時には、ロシア軍の侵攻を受けて町は壊滅。それ以降、この地方の中心は黒河に移った。そんなアイグンにある「アイグン歴史陳列館」を見学。上記のような中露間の歴史の数々を目で見ることができる。
歴史館の見学を終えると、2台のスズキQS110を黒龍江の河畔に並べ記念撮影だ。
アイグンから黒河に戻ると、黒龍江沿いの公園を歩き、対岸のロシア側を眺めた。そこはアムール州の州都、ブラゴベシチェンスク。川沿いに町並みが延びている。
2002年、ロシア極東のウラジオストックを出発点にしてシベリアを横断したが、その時はロシア側、ブラゴベシチェンスクから黒河の町並みを眺めた。それは強烈に旅心を刺激される眺めで、アムール川の河畔を歩きながら、「きっと、いつの日か、対岸の中国・東北をバイクで走ってやる!」と思ったものだ。
それから2年後に、中国・東北を走りたいという夢を実現させたのだ。
黒河のホテル「黒河国際飯店」で泊まり、ロシア料理店で夕食にする。隣りのテーブルにはブラゴベシチェンスクから来たというロシア人たちが食事をしていた。
中国で食べるロシア料理。ビートと牛肉の入ったロシアン・スープのボルシチを黒パンと一緒に食べる。つづいてウォッカを飲みながら、メインディッシュの牛肉&羊肉入りのストロガノフを食べた。心にしみる黒河の夜だった。
黒河のスズキの販売店で
アイグンの「歴史陳列館」
アイグンの黒龍江河畔で記念撮影
アイグンを流れる黒龍江
黒龍江対岸のロシアを眺める
黒河に戻ってくる
黒河を流れる黒龍江
ロシア側のブラゴベシチェンスクの町並みを眺める
黒龍江沿いの公園
ロシア料理店で一緒になったロシア人観光客
黒パンとボルシチ
メインディッシュのストロガノフ