賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

『アフリカよ』(1973年7月31日・浪漫)第一章(その7)

別れ

 夕方、ルイス離岸。そうしていよいよロレンソマルケスヘ。ぼくたちの目的地は近い。海路の終りを二日後にひかえた演芸会は、忘れることができない。演芸会とは、台湾、韓国、沖縄、ブラジル、日本の各グループにわかれ、それぞれいろいろな芸を披露するもので、台湾と韓国、沖縄の人たちは、すさまじいばかりの力の入れよう。朝から晩まで練習している。ぜんぜん練習しないのは、ブラジルの二世組とぼくたち日本人青年組だけ、特にぼくたちは当日になっても、まだ何をやるのか決まらない。すったもんだやったあげく、演芸会のはじまる直前に「北国の二人」を合唱しよう、おもしろおかしいかっこうをして、七人でやってしまえ、ということになり、ドロナワ式練習をする。みんな甲板に集まり、海にむかって「あなたを信じてここまできたけれど……」と大声をはりあげる。それがすむと、またすぐマージャン。ふまじめだと叱られそうだが、事実だから書くしかない。それから、いよいよ演芸会。ぼくたちの番になり、みんな思い思いに身につけたおかしなかっこうで舞台にあがり、悪声を披露する破目となる。恥ずかしくて死にそう。だが何が幸いするかわからない。破れかぶれの熱演に大喝采だった。おまけに、思いがけないことに、ぼくたちのためにマグロのさしみと酒が用意されてあった。このマグロのおいしかったこと! 沖縄の人たちが、ポートルイスの漁船員からもらってきた、ぴんぴんのマグロだったのだ。

 船は南回帰線を越える。そして、マダガスカル島が、水平線にかすんで見えてくる。長かった船旅の終りだ。あのアフリカ、アフリカ大陸が迫ってくる。空想ではなく、現実のアフリカが、もうそこにあるのだ。

 ぼくは心臓がしめつけられるような気分であった。うれしさ、というようなものではない。まだ会わないアフリカの前に、つらい、切実な別れがあったのだ。この一ヵ月を越す長い船旅で、家族のように親しくなっていたたくさんの人たち。

 若さのせいか、ぼくはそれまで、別れがつらいものだ、などとは思ってもみなかった。別れを知らなかったし、そんな場面にぶつかったこともなかった、と言ったほうがよいのだろう。

(この人たち、一日中のほとんどの生活、よろこびとかなしみを共にしてきた人たちと、いま別れ去り、はなればなれに地球のどこかに行ってしまう。もう二度と会うことがない)、ということが信じられないけれども、絶対の真実となって、重くのしかかってくるのだ。感傷的だと言われそうだが、(もう一度会いたい)と願わずにはいられない。

(十年後でも二十年後でもいい、もう一度集まることができたら、そしてみんなで、楽しかったこの船旅の思い出を語り会うことができたなら)

 そう思わずにはいられないのであった。

 船はモザンビーク海峡の南を進んでいた。その晩、日本人青年組、ブラジル二世組、素琴(スーチン)、海蕊(ハイリーン)、海※(ハイウン)らが集まって、甲板で、ぼくたち二人のお別れパーティを開いてくれた。歌が上手な前野は、これが最後だといわんばかりに、暗い海にむかって歌った。心なしか、寂しげな、沈んだ歌声であった。

 五月十八日、遠くに、白っぽく流れるようにロレンソマルケスが見えてくる。

「とうとう、来てしまったな」

 前野と、デッキにもたれながら、ぐんぐん近づいてくる町なみに目をやった。空はまっ青に晴れわたっている。木々の緑が、建物の白さが、目にしみた。

 午前十一時、ルイス号は、ロレンソマルケス港の岸壁に接岸。イミグレーションの役人が船に乗り込んでくる。入国手続がおわり、午後、ぼくたちは気が抜けるほど簡単に、アフリカ大陸の一角に、自分たちの足で立った。三年間も、夢にまでみたアフリカ。

「前野、いよいよこれからだな。ガンバロウ」

 ところでルイス号は、翌々日の五月二十日、夜八時、喜望峰から大西洋を越えて南米にむかうためこの港を離れ、二度、三度“ボーッ”と、胸をえぐるような汽笛を鳴らしてぼくたちに合図し、暗い海に出ていった。“ほたるの光”の歌声がいつしか聞こえなくなり、甲板でみんなが振っている懐中電灯の小さな灯りも、だんだんと遠くなっていった。

「さよーなら!」と、ぼくたちは、声のつづくかぎりに叫びつづける。その晩は、海辺の松林の中にテントを張った。インド洋の波の音が、やけに大きく聞こえる。前野もぼくも、寝つけなかった。目をとじると、船でいっしょだったいろいろな人たちの顔が浮かんでくる。

「ロン!」と呼び声がする。それは船の中での、ぼくの呼び名だ。隆という名は、中国語読みだとロンになり、子供たちや女の子は、ぼくをロン、ロンと呼んでなついてくれた。すぐ耳の近くで、子供たちがその名を呼んでいる声が、ひと晩じゅうしていたのだ。たまらない、やりきれない夜であった。

(第一章おわり)

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