賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

「峠越え」から「新・峠越え」へ――新連載趣意書!

 ぼくがバイクでの「峠越え」をはじめたのは今から30年以上も前の1975年3月28日のこと。サハラ砂漠を縦断した250㏄バイク、スズキ・ハスラーTS250で奥武蔵(埼玉)の峠を越えた。

 記念すべき第1番目の峠は国道299号の高麗峠。気がつかないままに通りすぎてしまいそうな、ゆるやかな峠だった。つづいて正丸峠を越えた。当時は正丸峠を貫くトンネルもないような時代で曲がりくねった峠道を登りつめ、峠に到達したときはゾクゾクッと体が震えるような感動を味わった。峠の茶屋で熱いうどんをすすりながら思ったものだ。

「よ~し、これからは何年かけてでも日本中の峠を越えてやる!」

「奥武蔵の峠越え」では結局、そのあとさらに山伏峠、小沢峠、天目指峠など全部で14峠を越えた。

「峠越え」をはじめたころで印象深いのは、風間深志さんが同行してくれたときのことだ。「峠越え」は『月刊オートバイ』誌で長期連載されたが、『オートバイ』編集部に配属されてまもない若手編集部員の風間さんは、「カソリさんの峠越えはおもしろそうだから」と同行取材してくれ、晩秋の甲信国境の峠を一緒に越えた。

 最初は標高2360メートルの大弛峠。峠道はすでに雪に覆われ、ツルリンステーンで、何度も転倒した。次に信州峠を越え、峠下の増富温泉で1泊したが、それは忘れられない温泉宿での1夜になった。

 カソリ&カザマ、当時はお互いに若かった…。湯上がりのビールをガンガン飲みながら話のボルテージを上げ、とどまるところをしらなかった。なんでもできそうな気がした。それが後のカソリ&カザマの「キリマンジャロ挑戦」や「パリ・ダカール・ラリー参戦」につながった。

「峠越え」を始めたころは、「な~に、5、6年もあれば日本中の峠を越えてやる!」ぐらいのつもりでいた。ところが南北に細長く、国土の大半を山々に覆われた日本列島にはそれこそ無数の峠がある。1975年以来、30年以上の歳月をかけて北海道から沖縄まで細かくエリアに分けて「峠越え」をしてきたが、日本中の「全峠制覇」にはほど遠い。

 2005年末の時点で越えた峠は1555峠になったが、まだまだ越え残した峠は多い。日本の全峠といったら、おそらく3000峠近くにはなるだろう。これからもそれら越え残した峠をひとつづつ越えていこうと思っている。自分の全人生をかけた「峠越え」なのだ。

 それとは別に、ぼくはあたらに「峠越え」をはじめることにした。名づけて「カソリの新・峠越え」。いままでの「峠越え」ではエリアでいくつもの峠をまとめて越えていたが、「新・峠越え」ではひとつの峠をターゲットにしようと思っている。それと写真はいままではフィルムで撮っていたが、これからの「峠越え」&「新・峠越え」はともにデジタルでの写真になる。

 ぼくは神奈川県伊勢原市に住んでいるので、まずは地元、「神奈川の峠」からはじめ、都道府県単位で順次、日本の峠を越えようと思っている。またしてもエンドレスの「新・峠越え」になる。いままでつづけてきた「峠越え」は、もちろん同じスタイルでつづけていく。「峠越え」と「新・峠越え」の2本立て。ますますおもしろくなりそうな予感のするカソリの「峠越え」&「新・峠越え」なのだ。