賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

「鵜ノ子岬→尻屋崎2012~2018」(11)

■2012年3月20日(火)雪のち晴のち一時雪 「盛岡→東京」632キロ

 夜明けとともに雪の盛岡を歩いた。チラチラ雪が降っている。

 盛岡駅前から歩きはじめ、開運橋を渡ったところでは凍った雪道に足を滑らせてたてつづけに2度、3度と転倒した。バイクでなくてよかった。目抜き通りの商店街を抜け、盛岡城跡まで歩いたところで折り返し,盛岡駅前に戻った。

東横イン」の「おにぎり&せんべい汁」の朝食を食べ、9時に出発。出発時間を遅らせたのは、すこしでも雪がとけてから走ろうと思ったからだ。

 出発を1時間、遅らせたのは大成功。その間に天気が変わり、青空が広がり、日が差している。路面の凍りついた雪もシャーベット状になっている。

 盛岡駅前から国道4号に出ると、もう路面に雪はない。スズキV-ストロームを前日とはうってかわって高速で走らせることができた。

 10時45分、花巻に到着。

 花巻では宮沢賢治命名北上川の「イギリス海岸」を見る。そして丘陵地帯にある「宮沢賢治記念館」(入館料350円)を見学する。ここでは地元のライダー和田福助さんに出会った。

 和田さんには「カソリさん、頑張って!」

 と、「魚肉ソーセージ&リポビタンD」の差し入れをいただいた。

 花巻からさらに国道4号を南下。

 前沢では前沢温泉「舞鶴の湯」(入浴料500円)に入り、「牛の博物館」(入館料400円)を見学。そのあと博物館前のレストランで前沢牛を食べた。一番安いメニューの「前沢牛の南部鉄器焼き」だったが、それでも4000円…。

 前沢では武内さん一家と再会。一緒に平泉まで行き中尊寺を参拝。平泉で武内さん一家と別れた。

 18時、一関ICで東北道に入り、一路東京へ。

 もう大丈夫とばかりに夜の東北道を飛ばした。東京までは一気に走るつもりでいた。ところが宮城県に入り、仙台を過ぎた頃から雪が降り始めた。白石を過ぎるとかなりの雪。またしても恐怖の高速道路での雪だ。

 辛くも国見峠を越えて福島県に入ったが、峠を下った国見ICで高速を降り、国道4号を南下した。福島、郡山と通り、雪が止んだところで白河ICで再度、東北道に入った。 最後の最後まで雪に泣かされた3月の東北だったが、関東に入ると見上げる夜空は一面の星空。24時、東北道の浦和料金所に到着。盛岡から542キロ。ここから首都高→東名で神奈川県伊勢原市の我が家に到着したのは2時。V-ストロームでの走行距離は2775キロになった。

「鵜ノ子岬→尻屋崎2012~2018」(10)

■2012年3月19日(月)雪のち晴のち雪 「田老→盛岡」335キロ

 ひと晩中降った雪は明け方には止んだ。まずはひと安心。朝湯に入り、朝食は古山夫妻と一緒に食べる。食べ終わったところで古山夫妻と別れた。

  8時、「グリンピア三陸みやこ」を出発。ありがたいことに青空が広がっている。スズキのV-ストロームを走らせ、まずは国道45号へ。その間の雪は心配したほどでもなかった。ところが国道45号を北上するにつれて路面の雪が多くなった。下り坂が恐怖。速度をガクッと落として走った。ツルンツルンのアイスバーンでは足を着きながら走った。 小本を通り、田野畑村に入っていく。

 いよいよ最大の難関、国道45号の最高所にもなっている閉伊坂峠に挑戦だ。

 長い登りがつづく。雪との格闘の連続だ。気温は0度近いのだが、暑くて汗が出るほど。峠の頂上に到達したときは思わず「ヤッタ!」のガッツポーズ。しかし峠道の下りは登りよりもさらに大変だ。たえずバックミラーで後続車を確認しながら走った。後続車が来るといったん路肩に避け、車の流れが途切れたところでふたたび峠道を下った。

 閉伊坂峠を下ると雪が消えた。

 普代村、野田村と国道45号の路面に雪はなかった。

 久慈からさらに国道45号を北上。岩手県から青森県に入り、11時30分、八戸に到着。八戸は青空が広がり、国道45号に雪はなかった。

 八戸から国道45号→国道338号で下北半島に向かっていく。

 三沢を過ぎると天気は急変。空はあっというまに鉛色に変わり、そのうち雪が降り出す。雪は激しさを増す。猛烈な西からの風が吹きはじめ、吹雪になった。V-ストロームがフワッと舞い上がりそうになるほどの風の強さだ。

 ラムサール条約の登録地にもなっている仏沼まで行ったところで断念、ここを最後に東京に戻ることにした。尻屋崎まであと100キロの地点。ゴーゴーと吹き付ける吹雪の中で立ち尽くし、3月の東北の自然の厳しさをかみしめた。

 三沢まで戻ると、「三陸温泉」(入浴料250円)の湯に入り、湯から上がると休憩室で昼食。koshiさんの差し入れの魚肉ソーセージやチーかま、ぴり辛ちくわ、温泉卵を食べた。これは朝、出ようとすると、V-ストロームのハンドルに掛けられたビニール袋に入っていたものだ。手紙と先日の写真も添えられていた。

 最後にカンコーヒーを飲み、「リポビタンD」を飲み、出発。カンコーヒーもリポDもkoshiさんの差し入れだ。

 三沢から八戸に戻ると雪は止み、何事もなかったかのように青空が広がり、日が差していた。

 15時20分、八戸北ICで八戸道に入った。

 八戸道→東北道で一気に東京まで走るつもりでいた。

 ところが東北の3月はそれほど甘くはなかった。軽米ICを過ぎた頃から雪が降りはじめ、九戸ICを過ぎるとかなり激しい雪になった。路面はあっというまに白くなる。

「これはもうダメだ…」

 と路肩に出て、ハザードランプを点滅させて速度を落として走った。

 次の一戸ICで高速を降り、国道4号を南下。雪は一段と激しさを増す。とにかく転倒しないように走ったが、ここでの最大の難所は国道4号最高地点の十三本木峠(中山峠)越えだ。この十三本木峠を死にもの狂いで越えた。我ながらよくぞ越えられたと思うほどの雪の峠越えだった。

 沼宮内、渋民と通り、盛岡市内に入るともう大雪の様相。ボソボソバサバサと降っている。からくも盛岡駅前に到着。駅前の「東横イン」に飛び込みで行って泊まれたときは、心底、「助かったー!」と声が出た。

「鵜ノ子岬→尻屋崎2012~2018」(9)

■2012年3月18日(日)晴のち雪 「気仙沼→田老」157キロ

 スズキ二輪のMさんと「スズキきずなキャリイキャラバン」のみなさんと一緒に、早朝の気仙沼を歩く。海岸地帯はまだ復興とはほど遠い状態だが、瓦礫のとり除かれたあとに花壇がつくられ、草花の芽を出しているのを見てほっと救われた。

 7時、朝食。8時、出発。

 今日の目的地は大船渡。「スズキきずなキャリイキャラバン」のみなさんの乗った車をV-ストロームでフォローする。

 宮城県から岩手県に入り、陸前高田を通り、9時、大船渡の「オートランドリッキー」に到着。国道45号と国道107号の交差点に店がある。ここは新しい店で、元の店は大津波で流された。「オートランドリッキー」の三条社長はそれにも屈することなく、すぐさまこの新しい店を立ち上げた。お客さんの所有している土地と建物を借り、それを新店舗にしたのだ。

 さらにうれしいことに、震災1年を前にして三条社長は借りていた土地と店舗を買い取り、名実ともに自分の店にした。隣接した土地には何年か後にはビルを建て、立派なショールームにしたいと熱をこめて語ってくれた。

 大津波にも全く負けていない人の話を聞いてぼくも心が熱くなった。

 大船渡からも、大阪モーターサイクルショー会場のスズキブースのMC原智美さんに携帯で電話し、大船渡の状況や「オートランドリッキー」の様子などを話し、三条社長にも登場してもらった。このような携帯でのトークショーを午前1回、午後2回、合計3回やったが、これが最後だ。

 三条社長には昼時、「ニュー香園」という中華料理店につれていってもらったが、そのついでに大船渡の町中を案内してもらった。大船渡にも仮設の商店街や屋台村が誕生し、復興の芽生えを感じさせた。

「スズキきずなキャリイキャラバン」はバイク、スクーターの無料点検だけでなく、電動スクーター「E-レッツ」の試乗会も兼ねている。それになんと神奈川県からやってきた古山夫妻が車に乗って来てくれた。旧知の古山夫妻は日本のみならず海外もバイクで走っているが、今回は車での東北旅。カソリが大船渡の「オートランドリッキー」いるという情報を聞きつけて来てくれた。

 さっそくE-レッツを試乗した2人だが、「新しい世界をのぞいたような気分!」とその印象を話してくれた。ぼくは今晩、田老の「グリーンピア三陸みやこ」に泊まるつもりにしていたが、古山夫妻もそれに合わせて「グリーンピア三陸みやこ」に泊まるという。 15時30分、「オートランドリッキー」での「スズキきずなキャリイキャラバン」の活動終了。みなさんとは大船渡で別れ、V-ストロームを走らせ、国道45号を北へ。

 釜石、大槌、山田を通り、夕暮れの宮古に着いた。

 宮古を過ぎるとまたしても雪…。前回ほどの降り方ではなかったので無事、田老の「グリーンピア三陸みやこ」に到着することができた。湯につかり、湯から上がる頃、古山夫妻もやってきた。一緒に夕食を食べ、そのあとはぼくの部屋での飲み会。ビールを飲みながら2人の東北旅の話を聞いた。

「鵜ノ子岬→尻屋崎2012~2018」(8)

■2012年3月17日(土)晴のち雨 「松島→気仙沼」117キロ

 前日と同じように夜明けとともに起き、「松島センチュリーホテル」の朝湯に入り、湯から上がると松島を歩いた。天気予報は雨だったが、青空が広がっているのがうれしい。 7時、朝食。8時30分、スズキ二輪のMさんとホテルを出る。そして「スズキきずなキャリイキャラバン」のみなさんの乗った車がホテルにやってきてV-ストロームで後ろについて走った。

 今日の目的地も石巻。「スズキきずなキャリイキャラバン」は石巻の中心街、合同庁舎前にある「山口輪業」に行った。ここは石巻の海岸から4キロ近くも離れているのに大津波に襲われ、「山口輪業」は全壊した。社長の山口さんは目の前の合同庁舎に逃げ込み、その後は5、6キロも離れた避難所暮らしがつづいた。

 山口社長のバイク店にかける想い、情熱はすごいもので毎日、避難所から「山口輪業」まで通い、店のあとかたづけをした。全国から駆けつけてくれたボランティアの人たちにはずいぶんと助けられたという。

 すべてを流されてしまったので一からの出直しだったが、「俺は日本一の借金大魔王」といって笑い飛ばすような豪快な山口さんは借りられるだけのお金を借りて、被災後、何と1ヵ月で仮店舗をオープンさせたという。まさに「不屈の男」だ。

 前日と同じように、ここ「山口輪業」から大阪モーターサイクルショー会場のスズキ・ブースのMC原智美さんに携帯で午前1回、午後2回、合計3回、大津波に襲われた「山口輪業」の様子やその復興の具合を話し、山口社長にも登場してもらった。

 それにしても不思議な気分だったのは、「アナログのカソリ」といわれるくらいで、「携帯などは絶対に持たない!」といってたのに、こうして携帯で石巻から大阪モーターサイクルショーに来てくれているみなさんに話しかけていることだった。

 天気予報は当り、午後から雨になった。

 15時30分、「スズキきずなキャリイキャラバン」はバイク、スクーターの無料点検を終え、「山口輪業」を出発。気仙沼へと向かっていく。冷たい雨の中の走行は辛いものがあるが、「雪にならなくてよかった!」と天に感謝した。

 気仙沼に到着したのは18時30分。高台上の「ホテル望洋」に泊まり、スズキ二輪のMさんや「スズキきずなキャリイキャラバン」のみなさんと一緒に夜の気仙沼を歩き、仮設の「復興屋台村」にある「はまらん家」という店に入った。まずはみなさんと生ビールで乾杯。これがうまい。気仙沼名物の「はまらん焼」を食べながら、さらに乾杯を繰り返した。

「鵜ノ子岬→尻屋崎2012~2018」(7)

■2012年3月16日(金)晴 「松島→松島」59キロ

 夜明けとともに起き「松島センチュリーホテル」の朝湯に入る。湯から上がると早朝の松島を歩いた。まだ人出のない「日本三景」の松島を存分に楽しんだ。

 7時、朝食。8時30分、スズキ二輪のMさんとホテルを出る。

「スズキきずなキャリーキャラバン」のみなさんの乗った車がホテルにやってきて、V-ストロームで後について走る。

 目的地は石巻万石浦から県道234号を行ったところにある「石巻バイパス仮設住宅」に行った。ここには236戸あるとのことで、石巻や女川の被災者が住んでいる。

 バイクやスクーターはみなさんにとっての重要な足。スズキはそれらを無料で点検している。まさに東北の復興支援への応援だ。

 カソリは何をするかというと、ここから大阪モーターサイクルショー会場のスズキ・ブースに携帯で電話し、MCの原智美さんに現地の様子、「スズキきずなキャリーキャラバン」の活動の様子などを午前中に1回、午後2回、合計3回、話すのだ。

 すごくよかったのはここではいろいろな話を聞けたことだ。

 女川の尾浦の漁師さんの話は興味深かった。

 銀ザケ、ホタテ、カキ、ホヤの養殖が尾浦の漁業の4本柱だったが、大津波ですべてが全滅した。とくに出荷直前の銀ザケの被害が大きかったという。

 同じく女川の尾浦の漁師の奥さんは海は怖くて見られない、松島の遊覧船も怖くて乗れない、瓦礫の山を見ると気持ちが暗くなってしまう、この1年は毎日のように泣いていると、いっていた。

 日本中から来てくれたボランティアの人たちに助けられた、家が流されたとたんに親戚の人たちがすーっと離れていった、1日も早く以前のような家に住みたいといった話も聞いた。身につまされるような被災者のみなさんの声だ。

石巻バイパス仮設住宅」での活動は15時30分で終了。「松島センチュリーホテル」に連泊するのでみなさんと別れ、V-ストロームを走らせ、石巻、奥松島をまわって松島に戻った。

 その夜は「松島センチュリーホテル」近くの「さんとり茶屋」でスズキ二輪のMさんと夕食をともにする。タコの唐揚げ、カキの殻焼き、ホッキの刺身などを食べながら地酒の「小僧山水」をしこたま飲んだ。