賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

賀曽利隆の峠越え・2012年 (Crossing Ridges in Japan)

     箱根峠(神奈川・静岡)1月27日・25

     明神峠(栃木・福島)2月2日・3 ※R294

     さった峠(静岡)2月22日・7

     十三本木峠(岩手)3月19日・5

     掛札峠(福島)6月15日・2

     登舘峠(福島)6月15日・2

1638、いちづく坂峠(福島)6月15日・1

1639、陽の出石峠(福島)6月15日・1

     八木沢峠(福島)6月15日・5

     土湯峠(福島)6月16日・17

     中山峠(福島)6月18日・28

     山王峠(福島・栃木)6月18日・30

     尾頭峠(栃木)6月18日・18

     山伏峠(山梨)6月20日・10

     石割峠(山梨・静岡)6月21日・6

     安ヶ森峠(栃木・福島)7月3日・9

     田代山峠(福島・栃木)7月3日・21

     唐沢峠(福島)7月3日・9

     馬坂峠(福島・栃木)7月3日・9

     安ヶ森峠(福島・栃木)7月3日・10

     馬坂峠(栃木・福島)7月3日・10

     唐沢峠(福島)7月3日・10

     中山峠(福島)7月5日・29 ※R352

     駒止峠(福島)7月5日・15

     舟鼻峠(福島)7月5日・13

     山王峠(福島・栃木)7月5日・31

     尾頭峠(栃木)7月5日・19

     掛札峠(福島)7月14日・3

     登館峠(福島)7月14日・3

     いちづく坂峠(福島)7月14日・2

     陽の出石峠(福島)7月14日・2

     八木沢峠(福島)7月14日・6

     通岡峠(岩手)7月17日・8

     大峠(岩手)7月17日・8

     羅生峠(岩手)7月17日・8

     鍬台峠(岩手)7月17日・8

     恋ノ峠(岩手)7月17日・3

     閉伊坂峠(岩手)7月17日・2

     傘松峠(青森)7月20日・12

     発荷峠(秋田)7月20日・11

     見返峠(秋田・岩手)7月20日・8

     甲子峠(福島)7月25日・10

     駒止峠(福島)7月25日・16

     中山峠(福島)7月25日・30 ※R352

     舟鼻峠(福島)7月25日・14

     土湯峠(福島)7月27日・18

     湖見峠(福島)7月27日・2

     涼風峠(福島)7月28日・2

     八木沢峠(福島)7月28・7

1640、国見峠(福島・宮城)7月28日・1

     八木沢峠(福島)7月19日・8

     鳩峰峠(福島・山形)7月29日・5

     二井宿峠(山形・宮城)7月30日・10

     刈田峠(宮城・山形)7月30日・10

     笹谷峠(山形・宮城)7月30日・10

     関山峠(宮城・山形)7月30日・8

     鍋越峠(山形・宮城)7月31日・6

     掛札峠(福島)8月23日・4

     登館峠(福島)8月23日・4

1641、水境峠(福島)8月23日・1 ※R114

     国見峠(福島・宮城)8月24日・2

     中山峠(宮城・山形)8月24日・14

     雄勝峠(山形・秋田)8月24日・8

     鬼首峠(秋田・宮城)8月24日・8

     水境峠(福島)8月25日・2 ※R114

     八木沢峠(福島)8月25日・9

1642、笹ノ田峠(福島)8月26日・1

1643、風越峠(福島)8月26日・1

     石峠(新潟)8月29日・8

     人面峠(新潟)8月29日・6

     関川峠(山形)8月29日・4

     一本木峠(山形)8月29日・4

     楠峠(山形)8月29日・4

     鬼坂峠(山形)8月29日・4

1644、大日坂峠(山形)8月29日・1

     坂梨峠(青森・秋田)8月31日・9

     貝梨峠(岩手)8月31日・8

     仙岩峠(岩手・秋田)8月31日・11

     巣郷峠(秋田・岩手)8月31日・12

     長沢峠(福島)9月5日・5

1645、宝坂峠(福島)9月5日・1

1646、中山峠(福島)9月6日・1 ※県道196号

     安藤峠(福島)9月6日・7

     駒止峠(福島)9月6日・17

     六十里越(福島・新潟)9月7日・12

     勢至堂峠(福島)9月7日・9

     諏訪峠(福島)9月7日・3

     三森峠(福島)9月7日・10

     金山峠(宮城・山形)9月7日・12

     大峠(山形・福島)9月13日・9

     甲子峠(福島)9月13日・11

1647、わらび峠(群馬)10月6日・1

     暮坂峠(群馬)10月6日・5

     野反峠(群馬)10月6日・6

     大門峠(長野)10月7日・9

     杖突峠(長野)10月7日・13

     分杭峠(長野)10月7日・17

     地蔵峠(長野)10月7日・12 ※R152

     兵越峠(長野)10月7日・17

     鳥居峠(群馬・長野)10月7日・13

     土湯峠(福島)10月27日・19

     舟鼻峠(福島)10月28日・15

     山王峠(福島・栃木)10月28日・32

     尾頭峠(栃木)10月28日・20

     天城峠(静岡)11月3日・22

     大鍋越(静岡)11月3日・14

     仁科峠(静岡)11月3日・12

1648、風早峠(静岡)11月3日・1

     天城峠(静岡)11月4日・23

     大鍋越(静岡)11月4日・15

     仁科峠(静岡)11月4日・13

     風早峠(静岡)11月4日・2

     さった峠(静岡)12月5日・8

 

※この年に越えた峠は115峠 初めての峠は11峠

※最後の数字はその峠を越えた回数

賀曽利隆の峠越え・2011年 (Crossing Ridges in Japan)

     籠坂峠(静岡・山梨)4月6日・17

     三国峠(山梨・神奈川)4月6日・4

     山伏峠(山梨)4月6日・9

     本栖峠(山梨)4月6日・5

     石割峠(山梨・静岡)4月6日・5

     土呂部峠(栃木)5月6日・17

     安ヶ森峠(栃木・福島)5月6日・8

     中山峠(福島)5月6日・27 R352

     唐沢峠(福島)5月6日・8

     通岡峠(福島)6月12日・6

1634、閉伊坂峠(岩手)6月12日・1

     石榑峠(滋賀・三重)6月23日・3

     明神峠(栃木・福島)7月4日・3 ※県道74号

     土湯峠(福島)7月8日・16

     十三本木峠(岩手)7月9日・4

     矢立峠(青森・秋田)7月10日・10

     雄勝峠(秋田・山形)7月11日・7

     金山峠(山形・宮城)7月12日・11

     小坂峠(宮城・福島)7月12日・7

     長沢峠(福島)8月27日・4

     大沢峠(福島・宮城)8月28日・4

     笹ノ田峠(岩手)8月29日・5

1635、糠森峠(岩手)8月29日・1

     荷沢峠(岩手)8月29日・4

     白石峠(岩手)8月29日・3

     仙人峠(岩手)8月29日・4

     早坂峠(岩手)8月30日・8

     大坊峠(岩手)8月30日・6

     平庭峠(岩手)8月30日・5

     赤石峠(岩手)8月30日・2

     発荷峠(秋田)8月31日・10

     坂梨峠(秋田・青森)8月31日・8

     貝梨峠(岩手)9月1日・7

     仙岩峠(岩手・秋田)9月1日・10

     境峠(秋田)9月2日・4

     巣郷峠(秋田・岩手)9月2日・11

     鬼首峠(宮城・秋田)9月2日・7

     松ノ木峠(秋田)9月2日・5

     中山峠(山形・宮城)9月2日・12

     笹谷峠(宮城・山形)9月3日・11

     大越(山形)9月3日・5

     二井宿峠(山形・宮城)9月4日・9

     甲子峠(福島)9月5日・9

     駒止峠(福島)9月5日・14

     通岡峠(岩手)9月13日・7

     大峠(岩手)9月13日・7 ※R45

     羅生峠(岩手)9月13日・7

     鍬台峠(岩手)9月13日・7

     石塚峠(岩手)9月13日・7

     石峠(新潟)9月17日・7

     人面峠(新潟)9月17日・5

     ヤビツ峠(神奈川)10月3日・13

     柳沢峠(山梨)11月15日・11

1636、掛札峠(福島)11月17日・1

1637、登館峠(福島)11月17日・1

     八木沢峠(福島)11月17日・4

     小仏峠(東京・神奈川)12月1日・4

     犬目峠(山梨)12月4日・3

     笹子峠(山梨)12月7日・18

     富士見峠(長野)12月22日・22

 

※この年に越えた峠は58峠 初めての峠は4峠

※最後の数字はその峠を越えた回数

「広州→上海2200キロ」(18)

 12月11日8時、桐郷の「銭塘新世紀大酒店」のレストランでの朝食。ここで食べたワンタンはうまかった。

 朝食のワンタンを食べながら、カソリ、食文化に想いを馳せた。

「ワンタン」は漢字で書くと「饂飩」になる。「ウドン」も漢字で書くと「饂飩」。つまり「ワンタン」と「ウドン」はまったく同じ漢字ということになる。

「ウドン」が中国から日本に伝わったのは奈良時代から平安時代にかけてのことだといわれている。そのとき日本人は「ウドン」と「ワンタン」をとり違えてしまったようだ。その結果「ウドン」は名前と中身の違うものになり、千何百年もの間、違うままできた。

 中国各地には「饂飩」の看板を掲げた店がある。「饂飩」は北京語では「フォントン」、上海語では「ユントン」、広東語では「ワンタン」になる。中国語というのはこのように、地方によってずいぶんと発音が違ってくる。

 それはさておき「饂飩屋」に入って、出てくるのは「ウドン」ではなく「ワンタン」。「饂飩」は「雲呑(ウンドン)」ともいうが、「雲呑屋」の看板を掲げた店に入っても、出てくるのはやはり「ワンタン」。ウドンというのはワンタンのことなのである。

 バイクツーリングの一番の良さは、このようにいろいろなことに興味を持ち、普段考えないようなことにも思いを馳せ、好奇心がより旺盛になることだとぼくは思っている。心が豊かになり、もっともっと知りたいという気持ちが旺盛になる。桐郷での朝はまさにそれだった。

 9時、桐郷を出発。国道320号で上海へ。

 桐郷の町はすっぽりとスモッグで覆われていた。天気が晴れなのか、曇りなのか、まったくわからない。大気汚染は広州から上海まで、途切れることなくずっと続くのだ。

 中国・沿岸の大気汚染はあまりにもすさまじい。何しろ息ができないのだから。これでは13億の中国人の存亡にかかわると心底、心配したが、当の中国人たちはほとんど気にしていないように見受けられた。それがまた、すごいことだと思った。

 嘉興の町の食堂で昼食にする。ここではスズメや豚の脳みそ、牛足、牛の胃袋、アヒルの血を固めたものなどを食べたが、中国人は何でも食材にしてしまう。

 14時45分、浙江省上海市の境に到着。広州から2252キロの地点。

 中国のバイク旅をものすごく難しくしているのが、大都市へのバイクの乗り入れ禁止だ。ここに来るまでも広州や厦門、福州、温州、杭州などはバイクの乗り入れ禁止都市だった。そういうところでは、大都市を大きく迂回しなくてはならない。

 上海ではどうしても中心街に入っていかなくてはならないので、浙江省上海市の境を「広州→上海」のゴールにした。ここで車を1台チャーターし、アドレスを荷台に積んで上海の中心街に入っていく。

「アドレスよ、ご苦労さん!」

 アドレスのおかげでぼくは夢を見た。

「60代編日本一周」(2008年~2009年)ではアドレスで3万6000キロを走ったが、アドレスと一緒に走れば走るほど、我が夢は世界を駆けめぐるのだった。こうして上海に到着してすぐに思ったことは、今度は「中国一周」をしたいということだった。さらに日本から南へ、台湾、フィリピン、ボルネオ、インドネシアを走ってみたいと思った。アドレスは限りなく夢をかきたててくれた。これがたまらない!

 日本人が多く住む上海の中心街の虹橋まで行き、「百威大酒店」に泊まった。

 虹橋の周辺は今では世界でも最大の日本人居住エリア。5万人近い日本人が住んでいるという。日本食のレストランがあちこちにあり、「エレガンス」や「かぐや姫」といったクラブも多数目についた。

 夕食はホテル近くの上海料理店で。二村さん、宋さん、楊さんと、まずはビールで乾杯。そのあと「酔っぱらいガニ」や「蒸しスズキ」、牛肉料理、タケノコ料理などの上海料理を食べた。最後は上海炒飯だ。

「広州→上海」の2200キロでは最初から最後まで、とことん食べ歩いた。最後の上海で上海料理を食べながら、ぼくの夢はさらに「中国一周」へと飛んでいく。

「そのときはもっと、もっと、食べ歩くぞ!」

(桐郷→上海73キロ)

◇◇◇

 翌12月12日、「百威大酒店」の朝食を食べたあと、虹橋の中心街をプラプラ歩いた。ここには日本の領事館があり、「ファミリーマート」などのコンビニがあり、「吉野屋」や「松屋」もあった。

 10時30分、上海・虹橋空港へ。ここで中国人スタッフの宋さん、楊さんと別れた。 13時05分、上海を出発。日本航空のJL8878便は離陸するとスモッグの中に突入し、上海の町並みはまったく見えなかった。

 機上の人となると、さっそく中国の地図を広げ、いままでの「中国ツーリング」を振り返ってみるのだった。

 ぼくが初めてバイクで中国を走ったのは1994年のこと。そのときは中国西部のタクラマカン砂漠を一周した。二村さんはその時も同行してくれたのだ。「タクラマカン砂漠一周」を皮切りに1999年の「チベット横断」、2003年の「中朝国境を行く」、2004年の「旧満州走破行」、2006年の「シルクロード横断」、2009年の「チベット横断」、そして今回の「広州→上海2200キロ」へとつづく。

 16時40分、羽田空港に到着。東京の空は透き通っていた。上海の空とはあまりにも違う。その違いの大きさに驚かされる。

「(東京の空は)こんなにもきれいだったのか」

 真っ赤な夕日が羽田空港の向こうに落ちていく。

 羽田空港内のラーメン店で二村さんとまずはビールで乾杯。そのあと日本のラーメン&餃子を食べて、「広州→上海2200キロ」の旅を終えるのだった。(了)

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桐郷の「銭塘新世紀大酒店」で食べた朝食のワンタン

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広州から2252キロを走って上海に到着

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上海の中心街

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早朝の上海を歩く

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スモッグに覆われた上海の虹橋空港を出発

「広州→上海2200キロ」(17)

 12月10日7時、朝食。楽清のホテル「東海暇日賓館」のレストランで、朝粥と炒飯を食べ、8時出発。アドレスV125Gのエンジンをかけ、「さー、行くぞ!」と、いつものようにひと声かけて走り出す。アドレスは今日も快調だ。

 国道104号を北へ。朝から雨が降っている。時速60キロから70キロぐらいで2車線の峠道を上り、ブラインドになった左コーナーにさしかかった時、何と雨で滑り、スピンしたトラックが自分の目の前に飛び込んできた。絶体絶命のピンチだ。

「あ、やったー!」。

 その瞬間、次々に頭の中から指令が飛んでくる。

「目をつぶるな」、「ここでは死ぬな」、「どうすれば助かるか考えろ」。

 トラックが自分の目の前で横向きになって止まるのと、アドレスで突っ込むのとはほぼ同時だった。すさまじい音とともにアドレスは吹っ飛ばされた。

 衝突の瞬間、ぼくは一瞬たりとも目を閉じることなく、目をカーッと見開いたままトラックに突っ込んでいった。そのときどうすれば助かるか、それだけを考えていた。

 トラックの中央部には人間が滑り込めるスペースがある。そこに賭けた。転倒し、右手、右膝で受身をとりながら、ものすごい勢いで滑り込んだ。その結果、思惑通り、そのスペースにすっぽり入り込むことができたのだ。

 トラックを降りてきた運転手はぼくの姿が見えないので、顔が青ざめるくらいの恐怖心を感じたという。さらにそのあとぼくがトラックの下から這い出してきたのでさらに恐怖心は増し、膝がガタガタ震えたという。

 それにしてもラッキーだった。トラックが止まるのと、それに衝突するのはほぼ同時だったが、ほんの1、2秒という、わずかな時間差があった。トラックの方が先に止まったのだ。この「1、2秒」でいろいろなことが見えるし、いろいろなことが考えられるし、いろいろなことが実行できる。そのおかげで助かったようなもの。

 それともうひとつラッキーだったのは、トラックの側面には日本のような巻き込み防止のバーがついていないことだった。百戦練磨のカソリ、全身を強打したのにもかかわらず、右手で防御し、頭だけは打たなかった。

 すさまじい痛みの中で道路上に立ち尽くし、警察が来るのを待った。その間にいろいろなことを考えた。12月10日が自分の命日になってもおかしくないような状況だったが、こうして生き延びられたことに感謝した。「生きている!」という実感。だが、すぐに考え直した。

「いや、生きているんではない。生かされているのだ」。

 ぼくはこのとき悟りの境地に入ったかのような心境になった。

 何か、目に見えない大きな力によって守られ、「オマエはまだ生きていろ!」といわれたような気がした。

「そうか、自分にはまだまだやりたいことがいっぱいある。よし、次は中国本土一周だな」と、事故現場で「中国一周計画」をブチ上げるのだった。

 二村さんや宗さんが素早く連絡してくれたおかげなのだが、中国警察の動きはじつに速かった。10分もしないうちに2台のパトカーがやってきて、事故現場を調べ、すぐに楽清の市民病院に連れていかれた。右手、右膝をやられたが、骨には異常ナシ。右膝を2針縫う程度で済んだ。次に警察署で事故調書がとられた。トラックの運転手が「すべては自分の責任です」と最初からいってるので、ここでもまったく問題ナシ。

 まるで警官が裁判官でもあるかのように、運転手は賠償金として5000元(約75000円)を払うようにと命令した。それぞれが調書に右手の人差し指で捺印したあとで、運転手は「私には子供が4人いまして…」と泣きついてくる。一人っ子政策の中国で、何で4人も子供がいるの?といいたかったが、まあ、仕方ない。病院代の2000元を払うということで和解した。

 事故でダメージを受けたアドレスだが、それはフロントのみ。エンジンのあるリアはまったく無傷で、エンジンもかかる。そんな強靭なアドレスに乗り、グローブのように腫れあがった右手でハンドルを握り、再度、楽清を出発した。

 臨海を通り、天台へ。遠くには天台山の山並みが青く霞んで見える。天台山というのはいくつもの山々の総称で、最高峰は標高1136メートルの華頂峰。ここには国清寺をはじめとして多くの寺があり、昔は中国仏教の一大中心地になっていた。日本からも多くの僧が渡り、この地で修行した。

 日本の天台宗の開祖、最澄遣唐使船で寧波に渡り、天台山で修行を重ね、帰国して天台宗を開いた。国道104号は内陸を通っているが、海沿いのルートを行けば、その寧波を通っていく。

 天台の食堂で昼食にする。ご飯とスープ、ソラマメ、タチウオ、イカやキノコ、ジャガイモなどの煮つけ、炒めたモヤシといったメニュー。タチウオのあんかけが美味でご飯を何杯もおかわりした。

 天台からは紹興酒で有名な紹興を通り、杭州へ。

 ところで福州から杭州までの国道104号だが、この道は「空海の道」なのだ。

 遣唐使船で遭難し、霞浦近くの赤岸に漂着した空海弘法大師)だったが、遣唐使船はさらに福州まで行った。そこで上陸した空海の一行は唐の都、長安西安)を目指した。陸路で温州を経由し杭州へ。このルートこそ、アドレスで走ってきた現在の国道104号なのである。空海の一行は杭州から大運河の船運で洛陽まで行き、最後は陸路で長安の都に入っていった。

 杭州で北京に通じる国道104号に別れを告げ、上海に通じる国道320号に入っていく。中国の国道というのは1本がきわめて長い。この国道320号も上海が起点で杭州、貴陽、昆明と通り、なんとミャンマー国境までつづいている。全長3000キロをはるかに超える。さすが大陸だ。

 杭州からはナイトランで上海へと向かい、その途中の桐郷で泊まった。宿は国道沿いの「銭塘新世紀大酒店」。ロビーには大きなクリスマスツリーが飾られていた。

 夕食はホテルのレストランで。酢豚や豆腐料理、アヒル、豚の胃袋、日本の素麺にそっくりな細麺などを食べた。

(楽清→桐郷388キロ)

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楽清の「東海暇日賓館」の朝食。朝粥と炒飯を食べる

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楽清の事故現場。あやうく命を落とすところだった

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小雨に霞む天台山の山並み

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天台の食堂で昼食

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昼食のタチウオのあんかけ

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杭州からはナイトランで上海に向かう

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桐郷で泊まった「銭塘新世紀大酒店」

「広州→上海2200キロ」(16)

 12月9日。空海弘法大師)が40日近く滞在した町、霞浦では「霞浦珠杯大酒店」に泊まったが、夜が明けると、部屋の窓から町並みを見渡した。正面にはゆるやかな山並みが連なり、その麓から町中にかけては隙間なく、びっしりと家々が建ち並んでいる。高層の建物も多く見られる。郊外では新しい高層住宅が建設中だ。

 7時、ホテルのレストランでの朝食。バイキングだ。日本の肉まんとあんまんそっくりの饅頭があった。饅頭の本場の華北だと、中には何も入っていない饅頭が一般的で、それを飯がわりにして食べる。饅頭は主食的な食べ物なのである。

 それが華南になると、このようなあんの入った饅頭が一般的で、饅頭は副食的な食べ物になる。同じ中国といっても北と南では違うし、食文化も大きく違ってくる。饅頭を食べながらそんなことを考えた。 豆腐も南だと日本の絹ごしにそっくりなものがある。北では大半が木綿ごしだ。

 沖縄でよく食べられる「豆腐よう」もある。中国ではそれを「紅豆腐」といっている。豆腐のチーズといっていいような紅豆腐を粥に入れて食べるとじつにうまい。

 8時、霞浦を出発。福安に向かって前日の山道を走った。その途中、天秤棒で籠をかついで歩く農夫に出会ったが、アドレスを停めて「ニーハオ(こんにちは)」と声を掛けると、ニコッと笑い返してくれた。

 福安からは国道104号を北上し、福建省浙江省の省境に向かっていく。山がちな風景。段々畑が見られる。茶畑や竹林も見られる。日本の山村に似た風景がつづく。

「広州→上海」の2200キロというのは、まさに爆発的な経済成長をつづける中国の最前線といったところで、その間には人口が100万人を超えるような都市が連続する。それだけに、このような山村の風景の中をアドレスで走っていると、「あー、今、中国を走っている」といった気分になり、無性にうれしくなってくる。

 12時、福建省浙江省の省境に到着。そこには2010キロのキロポストが立っていた。ここは国道104号の起点、北京から2010キロの地点になる。

 福建省から浙江省に入り、最初の町、蒼南の食堂で昼食。サトイモ料理、豆料理。イカの卵料理を食べ、最後に麺を食べた。食後に蒼倉の町を歩いたが、こうしてプラプラと町歩きするのはいいものだ。表通りから路地裏と足の向くまま、気の向くままに歩いた。

 蒼倉を出発し、浙江省を走る。瑞安から温州までは町つづきだ。

「温州ミカン」で知られる温州は温暖な気候からその地名があるとのことだが、周辺には柑橘類の農場が見られ、それらを売る店もあった。

 19時、楽清に到着。「東海暇日賓館」に泊まった。さっそく夜の町に出る。二村さん、宋さん、楊さんと一緒に30分ほど歩いたところで食堂に入った。夕食は「清湯鍋」。羊肉のシャブシャブだが、そのほか牛、豚、玉子餃子、アヒル…と毎夜のご馳走。「広州→上海」の中国ツーリングでは、日ごとに体重が増えていく。

(霞浦→楽清 347キロ)

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霞浦の町並みを見渡す

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「霞浦珠杯大酒店」の朝食

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山道で出会った農夫

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福安の町を行く

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福建省浙江省の省境

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スモッグに覆われた温州の中心街

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楽清での夕食。左から二村さん、宋さん、楊さん